一生懸命でもない [日常]

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 インドネシアでも、自分で会社を興してからも、サラリーマンの時も、学生や子供の時も、頑張ったことはないし、自分で努力した意識したことはない。また、他人の見る目も、私が、一生懸命やっているようには移っていなかったように思う。事実、お前は不思議な奴だと言われたことは何度もある。個人経営を始めた時も、お前のようにいい加減な仕事をしていて、もうかる仕事なら、押出という仕事はよっぽど、いい仕事だな、と、言われたことは何度もある。しかし、その当時、一日、16時間以上の仕事をしていた。朝6時や夜10時に沼津から御殿場や厚木へ納品に行っていた。自分の全能力で限界までやるとは、当然のことであって、それを頑張ったとは、自分では思っていなし、他人から、頑張ったねと言われても、何とも思わない。当然のこととしてやっているだけだから、むしろ、そう言ってくれる人は、ご本人、余り頑張っていないのではないの、と、思うことがある。
頑張らない、努力をしない、自分ではそう思っていて、他人にも、頑張りなさい、努力しなさいとは言わない。自分のペースでやるし、他人にも自分のペースでやりなさいという。若い人にも、無理をしないで自分のペースでやりなさいという。努力と頑張るという言葉は、非常に曖昧で、主観的な言葉です。自分が頑張ったと思っても、他人が頑張ったと思わないこともあるし、自分は決して頑張ったつもりはなくても、他人は頑張ったと思うこともある。
 努力も頑張るも天性だと思っている。できない人に、頑張りが足りないと言っても仕方が無い。本人は本人なりに既に頑張っているのだから、それ以上頑張りようが無い。私の考えは、さらりと、人があまり感じないところで、実力を蓄え、見えている部分では、普通に力を発揮し、早く、正確な結果を出す人が好きだ、私はいかにも頑張っていますと、他人が見ている時だけ、行動している人は評価が低い。結果がすべてである、なかなか、普通の人ではそうはいかない。
 今回も、頑張っていないし、努力もしていない、必要と思うから、やっているだけです。
 私の不運は、自分は努力していると思っている人の支配下に入った時で、私から見れば、努力とか、一生懸命とか努力と言う前に能力が欠落しているので他人に対する優しさを持つ余裕のない人です。
やっと、結果が真近になった、客先へ形状のサンプルを出すことにした。しかし、外観、つやについては日光の手前である。なお、原料の検討が必要である。水曜日の夕方までに艶とそりを改善した製品を持ち込まなければならない。

どちらもソトクドゥスです。牛や鳥の腸や肝を笹切りにして煮込んだスープです。大きい形の黄色っぽい方が、本場のソトクドゥスです。クドゥスという町は、スラバヤの西にあります。茶色のスープはソトクドゥスブロックMといって、ジャカルタのブロックMに本店があるチェーン店です。MM2100のルコの一角にあるのですが、インドネシア人の上級社員の人気が高く、昼食時には超満員の人気レストランです。私も、会社の従業員弁当を食べることが多いのですが、昼時にルコに用事で行ったときはついでにここで食事をします。日本人に会うことはほとんどありません。こんなにおいしいのに、と思うのですが。本場よりブロックMの方がおいしい。

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