恵まれた環境 [趣味]

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二年になって、下級生が入ってきた、やはり50人くらい。私の役目は、彼らを辞めさせることだった。処が、その中の四人、小学校の時から卓球場で鍛えてきていた。私より上手い。結局、その四人以外は全員辞めてしまったが、彼らが残ったのだから、四人増えて、やはり、私がいちばん下手だった。そこで、二年の時もレギュラーになれず、中途半端な、いてもいなくてもいい、どちらかというと、下級生の四人に気を遣わせる邪魔な存在だと意識していた。いまさら、やめて、他の体育系の部に行くことも出来ない。辛抱するしかなかった。
 個人戦でも、静岡市で、優勝したり、10位以内に4~5人入っていたと思うが、私は32番目位だった。
 二年の新人戦になるころ、四番手になっていた。上三人は、卓球場でならしてきた連中で、後輩の卓球場で練習してきた連中の何人かは私が抜いていた。市の新人戦で、四番手か五番手で、交代で団体戦に出ることができ、私の力ではないが優勝メンバーの一人になっていた。三年の本大会ではやはり市で優勝し、個人ではベスト8に入った。
 県大会は全く印象に残っていない。しかし、この頃から、中学の時でも浜松や沼津の有力校へ遠征して他流試合をすることが楽しみになっていた。静岡市でトップの力を持っていたから、それができたのだと思う。うまい連中がいたので、私も釣られて腕が上がったと思う。補欠が多くてなかなか、レギュラーにはなれなかったが、後々に割合努力しなくてもレギュラーになれたのは、この時の環境と部員に恵まれていたからだったと思う。
 三年の時は静岡市で優勝し県大会でもベスト4に入ったが。やはり、私は補欠だった。
私が高校へ入って、私より上手かった後輩の連中が県大会で優勝した。そのメンバーは私が高校の二年の時に他校の選手として対戦したが、其の時は私の方が圧倒的に強くなっていて、静岡県の中部大会の団体で二番手として団体戦に個人とダブルスで出て準優勝、個人戦ではベスト8に入っていた。若い時は、やはり、環境に寄ることが多いと思った。中学の時一年からレギュラーに入っていた同級生は高校に入ってから、名前を聞かなくなってしまった。
もっとも、高校の同級生では私より上手い奴がいて彼は準優勝をした。他の中学からきた中学時代から個人戦では上位にいた人でした。顧問の先生はいないと同じだったので彼がキャプテン、私がマーネージャーとして卓球部を運営していた。
 余計なことだが、其の時に予算の多額獲得の手段を知った。年度末にはお金を使い切ること、安く買って、領収書は定価で買ったようにしてもらったり。合宿の前後に先輩を招待して卓球大会をして寄付を募ったり、繁華街や市役所県庁へ行って、遠征費の寄付をお願いしたりした。とにかく学校名でかなりそういう動きは世間に認められていたように感じていた。
 大学では一年の時からトップ。最初からレギュラー、何の努力も頑張りもしなかった。女性部員と和やかに練習をしていたし、先輩の女性部員からは良く持てた、というより、やさしく打ち返してやるので彼女達の練習相手として手頃だったと思う。
良く、指名され、可愛がられたものでした。自然に二年の後半からキャプテンになっていた。囲碁部や書道部にも入って学生時代を満喫した。合宿も男女混合でやったので、普段練習に来ない部員まで参加した。スキーやアイススケートも学生時代に部で主催し、部員をあちこちへ連れて行った。この時も、急に部員が増えた。こんなにいたの?というくらい。
 中学の時の同級の女性や高校の時の他校の女性や大学の時の同じ体育館で一緒だった女性の話など、この十年間の話はきりがない。この期間のエピソードはきりがない。

見にくい名盤、正面からしか読めない、15度以上横からでは光ってしまって、全く、何が書いてあるか分からない、というより、何も書いてなくただのステンレス板にしか見えない。
インドネシアのゴルフ場の代表的な風景。
    

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