(^_-)-☆台風一過の晴天 [体験]

 昨日の橋脚が流れた橋の名前は蓬莱橋でした。富士見橋は、最下流の橋で、台風当日通行止めになったようでした。
天気晴朗なれども波高しでしょうか、朝のうち若干風が強かったが、台風は行ってしまった。多くの爪痕を残した。かなり大型だったので、何も被害が無いということは無いのだが、大体予想通りの被害だったように思う。被害に遭われた方には気の毒ですが、大型にしては、たいしたことなくてまあまあだったのではないでしょうか。
 被害にあった方々にはお見舞い申し上げるとともに早い復旧を願います。
 
今朝の空気は初秋の空気でした。十何年ぶりかの感触でした。夏から秋への清々しい感覚でした。この空気はインドネシアでは絶対感じられない。しかし、ちょっと、寂しい空気です。
 
自社で開発したものが無いということは寂しいことです。 色々な商品があっても、色々な製品があっても、それらを作ってある程度の利益を上げても、それらを作る技術は買ったものでは、将来が無いし、開発技術者は育っていない。この製造装置はいくら、この原料配合のノウハウはいくら、買って、商売に繋がったものもあるし、無駄で倉庫に眠っているものもある。これも、一つの方法かもしれないが、いかにも寂しいと思う。
私がやろうとしていることは、私の技術を使った製品を作って会社に金銭的な利益をもたらそうというわけではない。人を育てたいのです。インドネシアで押出の仕事を指導したのも、インドネシア人私の技術を教えて、なお且つ、自分達で新しいものに挑戦する力をつけてもらうためでした。今でもそうです。日本の会社は、それを日本の若者に機会を与えて、技術を覚えさせればいいし、将来、その若者が、それを使うなり、私の仕事に対する姿勢を見習うなりして、会社に貢献するようになればいいというのが、維持的に期待でした。
今もその通りです。だから、私の技術を伝える対象者を宛がってもらうことが設備を準備するための第一条件でした。ただし、その対象者が、ハズレの場合は、もう、どうしようもなくなる。替えて貰った方が良いが、そう簡単には行かないでしょう。そういう場合は、私が準備して設備は完全に無駄になる。そして、こんな役にも何も立たないものを、作って無駄金を使わされたと、その装置を眺める人達から云われるでしょう。その装置を使えない人達にとっては、邪魔でしかない。そういう行く末も考えられるのが、私がしようとしていることです。
PT.KITAGAWAもPT,AFMIもそうだった。結局、日本人が使えないので、その装置で新しいものは作れない。私が作った製品だけを継続しているにすぎないか、止めてしまうかです。私が残したものは、太田化工とセピックとインドネシア人に引き継がれているだけです。技術を伝えることとは、相手次第です。日本人には、はずれが多い。当たりの確率は少ない。私が選ぶことはできない。今回も、二人の内一人を選んだだけです。はずれでないことを願うだけだ。

 使う押出機と場所を決めてもらう。とにかく、よそ者が割り込むのだし、全く違う方法で製品を作るのだから、今までやっている人にとっては、面白くないし、邪魔ものだと思う。
 IMG_1880.JPGIMG_1881.JPG静岡と焼津の間の大崩海岸から日本平と富士山、海に掛けた迂回橋、大荒れの台風の翌日。
  
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