(^_-)-☆仕事始め [思うこと]

1086 会長の訓示から仕事が始まった。寒い、立って聞いていたが、寒くて体が硬直状態の上に話が長い、20分以上、終って歩き始めた時に両ひざの裏側が突っ張ってしまっていて歩くたびに痛さを感じた。私にとって厳しい環境です。
 
既に二三回は書いたと思うが、“弘法は筆を選ばず“というのは、間違いで、”弘法は筆を選ぶのが上手だった“自分に合った道具や状態を選ぶ、見つからなければ作る、書く文字、書く場所などに合った道具を選ぶのが上手だったから、多くの人が、どんな場所に書かれた書でも快く見ることが出来たのです。道具や環境はどうでもいい、ということは絶対あり得ない。他人は満足しても自分が満足することは出来ない。弘法ではないが、私も同じです。自分のやりたいように出来ない道具を使っていては良い仕事は出来ないばかりでなく、その前に、やる気が起きない。作る気が起きない。そういう状態では、私の回りの人の期待を満足させることは出来ないし、私自身もまったく満足しない。だから、環境も道具も私が選ばなければならない。今年の前半は、その道具を選ぶ期間になる。再び自分で会社を作ること選択肢の一つになる。

 試作の再開である。難しい、これも、道具が整っていないので自分が思うように出来ない。多分、回りからは、批判の目で見られるでしょう。しかし、どうしようもない。こうしたい、ああしたい、こうしたらうまくできるだろうと思うことをすることができない。
 住みにくい場所から住みよいだろうと思われる場所に移動してきた。また、仕事をしにくい場所から仕事をしやすいだろうと思う場所に移動した。自分で選んできた。自分が期待した場所に移動し、期待外れなら、すぐまた別の場所に移動した。逃げているようだが、私から見れば、自分のためを考えて、その場を見捨てたとも言える。だから、今まで、何回もいた場所を見捨てている。その場のために何か有効なことをしてやろうと思うのだが、その場では出来ないと分かれば、次の場所に移動する。任せると見放すは人の資質に依って受け取り方が違う。私が去った後、人に依って見捨てられたと思う人と、信頼されて任されたと思う人とある。
 サラリーマンをしていた会社も見放した。自分で作った沼津工場も従業員にあげた、静岡の会社も従業員にあげた。インドネシアへ移ってからも新しい仕事を手掛けたが、何社かを見捨てた。しかし、私が教えた人達は見捨てない。相談が有ればいつでも応じている。そのくらいのキャパは今でも持っている。
IMG_0457@.JPGカレンダーの写真、プラブハンラトゥのあるホテルの展望台のようなところからと、http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage124.html
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage126.html
IMG_0457.JPG本当はクリムトゥの近くではなく、同じフローレス島の西端に近いラブハンバジョのちょっと東のカンプンアダット(昔ながらの部落)ベナの建物です。
   
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