(^_-)-☆思い出の続き [思い出]

 1762 中学三年の時の同級生で、静岡市で、今では、一番有名になっているフグ料理屋を起こしたやつについては以前書いた、彼も印象深い人だった。
昨日の話の中で、隣のクラス担任の国語の先生、目が大きくて、真面目そう、彼のクラスの生徒は、彼好みで、大人しかったので、私のクラスとは対照的、何故、そんなテーマを設けたのか知らないが、“運動と勉強は両立できるか”ということで、討論をしようということになった。例の四人が前に出て討論することになった、私と一人の女性が、できない側、野球野郎ともう一人の女性が、できる側に指名された。私は運動部に入っている事を知らなかったらしい。その討論、直ぐに、無意味だと思った。そんなことは、客観的にどう思うかと、思われた人の習慣が一致することは無いからだ。野球野郎、思った通り、いきなり、「お前、両立してるじゃないか」、と言ってきた。それを言われた私、何も言い返せない。両立していない、と言ったら、そんなこと無いだろうと言われるし、運動も勉強もできないやつが多いのだから、そういう人から見れば、両立している。恵まれている。
逆に野球野郎にむかって、「お前、両立していないだろ」、とは言えない。彼も、多くの人から見れば両立しているのだから。皆さんから見れば。両立している二人を討論者に選んだのは先生のミス、そして、二人とも、実際には両立できていないと思っている。どちらかに絞れば、どちらかは、もっとできるようになると思っていたからだ。それぞれの側の女性も運動ではないが、文化部の部活と両立していると思われている人たちなんので、討論にならなかった。先生曰く、お前たちは討論がうまくないな、でした。「何言ってるの、この先生、何もわかっていない、こんなことで私たちに討論させるなよ」という心境だった。

後日談がある。当時の先生は、例外はあったがほとんど、まだ、20歳代の若い人が多かった。私の担任は24歳だった。平均で10歳前後の差しか無かった。私が40歳の頃、小中学校の校長になっている人が多かった。
私は、家の近くの公民館で囲碁同好会に参加していた、その時の会の顧問をしていた方が、同じ区に住んでいて、中学の校長をしていた。その人の会話の中で、私の妻が小学校の教師をしているという流れになった。奥さんの学校の校長先生も囲碁が好きだよ、教員仲間の囲碁同好会に入っていて、いろいろな大会に教師仲間として参加している、一度、あなたも、公民館として、そういう大会に出てみませんか、ということになった。
早速、都市対抗というか、会社対抗というか、県下から100団体が集まるマンモス団体戦に参加した。プロの棋士も何人か、招待されていて、早く負けてしまったチームの人たちと多面打ちをしていた。教師組も何組か参加していた。その中に、なんと、中学三年の時の隣の組の担任だった先生がいた。市内の有名中学の校長をしているという。「あの酷いクラスの君か、覚えているよ、本当に、どうしようもなかったからな、三年一組の生徒の配分を間違えたと、当時、そういう話なっていた」、そうおっしゃる。その先生、三年二組だった。その後、校長が多かったが、先生の囲碁の会に先生の旦那という変な名目で、インドネシアに来るまで、参加させてもらっていた。   

40歳前からクラス会(同級会)を何回か開いていた。45過ぎから、学年会(対象は11クラス、約600人と担任11人)を5年おきに3回、行った。隣のクラスの先生も当然、出席していた。他のクラスは同級会を開いていないらしく、他のクラスの同級生や先生方からは大いに喜ばれた。と、思っている。インドネシアへ技術指導に行くと決まった時に、先生囲碁同好会でも送別囲碁大会を催してもらった。私がインドネシアに来てしまっている今、同級会も学年会も、中断していると思う。いずれも、案内状が届いていない。

中学では無く、高校、大学の同窓会やクラス会は流石である。音頭取りが山ほどいる、地元の有名人が大勢いる、だから、ひっきりなしに案内状が届いている。寄付金の請求書もである。
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ジャカルタ、バスウェーを走っていた、赤ナンバーが捕まった。警察関係の車だった。同僚でも見逃しません、ということらしい。
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OK品です。隙間が有りません。
  
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