(^_-)-☆途方にくれた2 [体験]

 1980 また、何か見つからない?そうではない。もっと、切実な話です。起業とは反対に撤退というか、身売りをする会社もある。日本で20年ほど前に指導した会社でした。私がインドネシアへ来てしまって、指導することが出来なくなった。最初の内は、電話で相談に乗っていたがやがて疎遠になり、その数年後に、その会社に寄ってみた。300平方メートルくらいの工場に三ラインだった。私がいた時には二ラインが80%くらいでもう一ラインが50%くらいの稼働で、試作もできる余裕がある状態だった。
この状態が一番いい。フル稼働では新しい仕事をとることが出来ないからだ。もしフル稼働になる見込みなら、ラインの増設をしなければならい。その時は、その一ラインが空きの状態になる。大きくなる会社は、その繰り返しをし、必ず一ラインが空いている。新製品の試作と教育、訓練用に使う。私の会社はそうしてきた。

そして、数年後のこの会社は、私が去った時と同じ状態だった。新しい仕事を増やすことが出来なかったばかりか、やっていた仕事も量が増えなかった。というより、一時、量が増えて、フル稼働近くなったそうだが、その後減って、元に戻ったのだそうだ。その間、新製品を手掛けたのかと聞くと、引き受けてやってみたが、出来なくて、その内、引き受けなくなったそうだ。利益率も下がり、ほとんど、損益トントンになっていた。

その時の様子を見て、身売りを進めた。今後は利益の上昇は見込めないし、下がる一方だし、装置の簿価もほとんどゼロになってしまうから、今が売りどきで、遅れれば遅れるほど、売値が下がってしまうよと。見込みがるか無いかは、数字と技術者の能力と何より、経営者の総合的知識の正確性で、なんとなく、私の感じ方で分かる。だめと思えば、やはり駄目である。

その会社は、なんとなく自分で仕事を続けたが、その2年後、赤字に陥り、下請けをしていた客先に身売りをすることにした。その時、簿価が買った時の3分の1になっていて、数人の従業員の退職金を出せる程度でしか売れなかった。どこも、売りたい値段では買ってくれなかった。状態を見れば当然だったと思う。

インドネシアでも、一社あった。8年前でした。私が辞めてから、2年後、立ち行かなくなり、というより、担当した日本人の間違いがおおく、増やした仕事が、やればやるほど、マイナスを大きくしてしまった。ここも、私が身を引くときに、忠告した。止めるなら、早い方がいいよと、結局、私が身売り先の仲介をしたが、商権どころか、5ラインの日本製の押出しラインを、各種補助装置を含めて1000万円がやっとだった。

残念ながら、私がいなくなった会社は、新しい仕事は取れない。新しい仕事を獲得し、その技術は一緒にやりながら伝えるが、自分たちで新しい仕事を取ることができるようにはならない。その会社の経営者の資質に寄るところが大きい。だから、なかなか、説明をうまくできないが、私が、何十年かの経験から、評価して、この会社は、ここがピークで、後は下降するとみれば、その通りになる。Perkiraan saya benar 私の判断、予測は正確です。私の判断を聞いた方がいいと思う。

インドネシアで一社、悠然と利益上昇を続けている押出部門がある、そこは、インドネシアでの新しい仕事はほとんど取れていないが、日本の本社(私もテクノセンターで手伝った)工場が、インドネシア向けに作っていたものをインドネシア工場に移管しているからです。従業員は私の教え子たちで、それらも、すぐに作ることができる能力を持っている。三交替勤務者で平均8ジュタの給料を取っている。成功している。私は、その会社にも忠告している。押出部門は別会社にした方がいいよと、他の部門との関係がうまくいかなくなるよと、さて、どうでしょうか。
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大雨、停電。状況は厳しい。
 
タグ:予想 忠告 能力
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