(^_-)-☆謝罪 談話 [思うこと]

 2403 謝罪、終戦から、十年ごとに、時の日本のトップが、韓国や中国に対して謝罪をするのでしょうか。日本は韓国の朴政権と中国の周恩来時代からはじまった経済援助や技術援助の趣旨についての判断というか表現の仕方を間違えた。それで、両国民共、日本にそれ以上の要求をしてこないと思いこんだのでした。しかし、その時の思いは、完全に意味がなくなった。

そして、両国の経済的に余裕が出てきたころから、政権を維持するための手段として、日本批判と日本への要求が顕著になってきてしまった。発展する前には、素直に援助を受けていたが、それほど必要がなくなると、内部の批判をそらすように、過去のことを持ち出してきた。謝らせて、何をどうするつもりなのでしょうか。
なにも、恨み丸出しに批判や要求をしなくても、仲良くやっていれば、でる物は出るし、相互援助も問題なくできるし、行き来も問題なくできる、お互いの良いところを認識しあって、そのようにすればいいと思うのだが、人間の本性でしょうか。気に入らないことがあれば、相手かまわず、時や場所を構わず、大声をだす。情けないですね。お互いに、もっと、冷静に、妥協点を見出したらいいと思うのだが。

謝罪というのは、要求されて、気が進まず、本当は、そう思ってないが、要求するから、相手をなだめる意味で謝罪をする例が多い。謝罪した方は、謝罪させた方を、気の毒に思いながら、謝罪をする例がおおい。だから、謝罪した方が、気持に余裕があるのです。だから、第三社から見れば、日本の方が、精神的に余裕があると思うのです。そして、要求し、謝罪させた側は、いつまでたっても気が晴れないし、謝罪した側に、極端なことを言えば、嫉妬を感じ続けるでしょう。精神的に越えられないのです。

国際的な問題が、そういうことだから、国内的にも個人的にも、同じようなことが言える。国際的には、謝罪文の類いが出されれば、それに対して、何らかの反応やコメントがなされるのが通例だが、個人的には、それが、ないことが多い。
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垣根の向こうの細い道からそこを通る小学生から見える私の家。
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隣の老人介護の施設、わかば、という。車椅子に乗せられ、付添いと一緒に、私の家の周りを散歩?している姿が良くみられる。
 

タグ:談話 謝罪 反応
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