(^_-)-☆その人へ [人]

 2477 妻や従業員人には、40才の時に50になったら、社長を止めて、どこか海外にいって技術指導をすると宣言してあった。そして、今年、4月に、妻や会長には、来年2月で、インドネシアの仕事はお仕舞いにすると伝えた。いずれも、意志がぐらつかないように、だった。しかし、その他、その人を含めた友人にも、取引先にも、銀行など関係者にも、一言も言っていなかった。言ってしまって、実現しなかったら、恰好が悪いと思ったからだ。そして、ぴったり50の年末一杯で社長を止めて、単なる顧問になった。その時に初めて、皆さん、なぜやめたのか、今後何をしたいのか、機会ある毎に説明をした。中には、太田化工で何かあったんじゃないの、大丈夫?と心配した人もあった。慌てて偵察に来る商社もあった。
会社は、順調そのもの、何の心配もない。突然、赤字に転落したとしても、数年は、借金をしなくても済む蓄えは充分あった。私も直ぐにいなくなるわけでもないので、経営者交替は突然だったかもしれないが、移行期間は充分あった。

その人のことだが、実際には社長を止めてから約2年半後に日本から出たのだから、少しずつ、離れて行く、そして、いつ戻るか分からない私をかなり意識していてくれたようだった。ボランティア的な仕事を多くするようになっていったようだった。自分が身体障害者(私はそう思っていないが)なのに、身体障害者の世話をするようになっていた。

ほとんど、すべてを、振り払って、突き放して、単身、日本から脱出なのだから、私が日本にいなくなれば、その人の行動を助ける人が一人、少なくなる。精神的にかなり負担だったと思う。そして、その日が来て、黙って、赴任してしまった。

妻や会長には4月に伝えてあったが、今日、先ほど、コミサリスに、私の来年の行動希望を伝えた。ビザが切れる二月に、延長はしない。要するに、インドネシアでの仕事はお仕舞にする。ただし、リタイアビザを個人的に取る。主な生活の場は、日本になる。やっと、踏ん切りがついた。この決心が変わらないように、ここに書いた。

生きていれば、色々なことがある。完全なる変化ではないが、また、次の何回か目の違った人生がある。

スマトラ、リアウ州に大雨が降ったそうだ。森林火災も下火になったらしい。
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家に戻ったら、停電をしていた。21;00過ぎに回復した。PCの画面は会長が、バリのニルワナ(しつこいようですが天国という意味です)ゴルフ、7番 ブルーティ 海越えのショートホール、向こうに、有名が観光スポット、タナロットが見えます。引き潮の時には、子供が大勢下にいて、ボールが降ってくるのを待っている。会長、お気に入りの写真です。実は、海に落としたのでした。白から打つ人も、このホールだけは、青から打ってみてください。2月に仕事を止めると伝えたのは、この方です。
http://otaenplaext.net/newpage0.html私のウェブサイトの表紙は、タナロットですが、向こうに、この7番のティーグラウンドが見える。
http://otaenplaext.net/newpage46.html
http://otaenplaext.net/newpage47.html
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0302.html


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