(^_-)-☆ルーツ [思い出]

 2624 父親が亡くなったとき、もう、二十年以上前になる、私がお墓を作った。富士川町に住む、いとこの内、本家の石材店以外は全員、本家のお墓(江戸時代からの墓標がある)の周りに、自分たちの親が亡くなった時にお墓を作った。だから、このお墓の周りは、太田家と彫られたお墓が沢山ある。本家が石材屋だから、静岡に引っ越しても夏休みには、毎年、富士川の橋のたもとの本家に遊びに来ていた。富士の方から国道一号線の橋を渡ると、国道は、その渡りきったところで急カーブを描いて左折している。左折しないで、認知症老人のごとく、真っ直ぐ行ってしまうと、太田石材店に突っ込む、そんなところにある。今でも、いとこがその石材店をやっている。信号がまだない時代、よく、太田石材店にトラックが突っ込んだという話は、聞いていた。
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 で、お墓を作るのは、簡単で、安い、お寺も先祖代々、子供のころから、そのお寺の周りの山で遊んでいたし、お寺の坊さんとも、仲が良かった。今は,年に一回か二回しか行かないし、父母だけしか入っていないお墓に、次に入るのは私である。準備は万端である。この地より出でて、この地に戻るはずである。
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 この鉄のパイプはなにか分かりますよね。日本軽金属蒲原工場の第二発電所の取水パイプです。私が生まれた年に利用され始めたという。私の父親は重電の専門家で、その仕事に携わっていた。ボーキサイトから最後に電気分解、アルミニウムの抽出に携わっていたのでした。富士川の芝川辺りの第一発電所からの放水を使っている。二三歳のころ、会社の運動会に行ったことを覚えている。発電所についても、分からないながらも説明をされていた。四歳の時に、どういう分けか、静岡に引っ越した。なぜ、日軽金を止めて、静岡で荒物屋を始めたのか、説明を聞いていない。サラリーマンには向いていないと思うが、何故か、分からない。商人にも、向いていないと思うのだが。

 孫にこんな話をし始めている自分に気付く。
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