(^_-)-☆潜在意識 [思うこと]

 2832 あの人、今、どうしているのだろね。あんなに、勉強が出来たのに、あんなに色々やっていたのにね、と、私を子供のころから知っている人に、思われたり、言われたりしたくない、と。そんな、意識が、ずっとある。普段、意識をしているわけではないが、或ることは確かだ。自分としては、そんなに、飛びぬけて、何かですごいという意識はないが、とにかく、中途半端にすべてが上の方だった。小学校の時から、クラスや町内では、役割としても、勉強でも、引っ張る役だった、しかし、学年では、他にそういう役を自らする人が何人かいたので、私は、前に出ることはなかった。

中学でも高校でも大学でも、あまり、頑張ったという意識はないが、なぜか、中途半端な集団の中途半端なリーダーにまつりあげられていた。断るのが下手というか、人が良いというか、おだてられると、しょうがないな、と、その役をやっていた。それで、その集団では、一応、皆さんが、満足してくれたであろうなと思うようには、こなしていたと思う。そして、社会人に、社会人になっても、仕事の方は、全く、未経験なのに、三交替の班長から始まった。やりたくないのに、組合ではいきなり、教宣部長、東レに三島工場の全繊組合幹部が乗り込んできて、仕事の方は良いから、組合の専従になれよ、など、とんでもないことを言うくらい、最初から、引っ張り込まれ、入社二年目の後半から組合長にまつりあげられていた。仕事の方では、三交替勤務を三年やった後、係長に、組合員は、100人程度、仕事の部下ら30人程度だった。社会人になっても、中途半端な規模のリーダーである。

そして、7年のサラリーマン生活から飛び出して、一人で、会社を作ってしまった。そして、小さいお山の大将を20年ほどやった。最大で30(内パートが20人)人ほどの矢張り、中途半端な規模だった。

自分は喋るのが下手だし、酒は飲めないし、赤面症だし、猫背で見た目でも、多くの人の先頭に立つには向いていないと思っていたが、とにかく、なんとなく、誰かの下で、自分の思うようにできない状態には我慢がならない性分だった。何しろ、秋山真之の生き方にあこがれたのだから。その人のために、なろうと、思える上司やトップには恵まれなかったと思っていた。但し、同じ集団の中ではなく、取引先のトップの方には恵まれていたと思う。その人とその人の会社に貢献をしようと思った。

そして、今でも、インドネシアの紹介をしながら、少しでも、技術と経済的な面で、他人の為になればいいなと思いながら、自由な生活をしている。

若いころの私を知っている人から、あの人、いったい、今、何処で何をしているのかね、と、つぶやかれた時に、一応、あの人なら、そのくらいのことをやるよね、と、思われる状態にはなっているとは思う。私の以前を知っている人は、ほとんどいなくなったし、誰も何にも関係ないが、どうでも、いいことだが、勝手に、変なプレッシャーを感じている。

ネットでジャカルタ新聞を見たら、「ガパパ」って何?HARUKA NAKAGAWAさんの本のタイトルだとか、なる程、インドネシア語の若者言葉に慣れているね。普通はTidak apa apaだが、若い人たちはGak apa apa という、その略が「ガパパ」ですね。普通にしゃべるのを聞いていると確かに”ガパパ“としか聞こえない。Apaは、何か、何、という意味です。何?何ですか?と聞く場合に単独で語尾を上げて使う。Ada apaya?
何があったの?
Tidak (ティダと聞こえる)Gak(ガッと聞こえる)どちらも否定の言葉です。”何もない“が、直訳だが、“何でもないよ”“何にも気にしなくてもいいよ”“問題ないよ“”no problem”という意味になる。インドネシアでは、日本より遥かに、この言葉が使われる。何か、他人が気にしていること、失敗したと思っていること、全て、ティダ アパ アパで解決してしまう傾向がある。日本人としてはちょっと、いい加減な言葉に聞こえる。ティダ アパ アパじゃないでしょ、と思う。一寸ぐらい気にしなよと。自分が間違ったことをしても、周りに”ガパパヤ”という場合も多い。
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何故か、一週間ほど前に、ここの橋の架け直し?の工事が始まった。何が問題だったのでしょうか。
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家の近くで、買い物をしていたら、こんなミニバス(アンコッタ)が通りかかった。日本の国旗をでかでかと書いてあった。


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