(^_-)-☆ていへんだい [情報]

 3181 私は、2009年の駿河湾地震がその”駿河湾地震”だったと思う。それが巨大でなく中規模で終わった。それだけではなく、小規模地震は時々来ていた。もう駿河湾巨大地震は来ない。来ても、M8などというやつは、あと数十年先です。それも来ない可能性はあります。私は、全く、心配していないし、気にも留めていない。海外安全情報のように、なんだかんだと、いうが、結局は、「自分の見は自分で守りましょう」これですね。

私が45年ほど前に、自分の会社を沼津の志下というところで会社を立ち上げた。海からは200Mほど離れら場所で、周りは、魚の干物屋ばかりだった。その何年かのちに、地震学者が、いわゆる、“駿河湾沖地震”震度、6~7が、いつ来てもおかしく無い、明日来てもおかしくないと言い出した。理由は、周期説だった。150年周期で、来ているが、既に、150年過ぎているからという説だった。私の工場辺りは、一たまりもない場所だった。私は全然気にしなかった。それまで、日本でいくつも大地震があったが、予知がされた例はなかった。予知など、できるはずがないと思っていた。日本全体、いつどこに、どんな地震や津波が来てもおかしくないと思っていた。自分の近くに来たら、それは、仕方がないなと思うしかないなと思っていた。

その後、あちこちで、大地震が来ているが、いわゆる、駿河湾震源の地震は、小さいものばかりだった。その間、地震対策税というのでしょうか。一般的な税金のほかに、対策税を支払い続けている。今でも、何%か余分に払っているのではないでしょうか? そして、建築基準も厳しくなり、新工場の建設も、避難場所に使えるように、鉄骨も太くし、指定地域以外より、投資は高くついた。より頑丈な、工場にしなければならなかった。

静岡に移っても、海の近く、予想される地震が来れば、完全に水没してしまう場所だった。数Mの津波なら、何とか、避難場所として使える強度の工場にした。工場の裏は東海道本線、そこから5Mほど高いところを、新幹線が走っている。既に、築34年になる。

地震予知から、40年過ぎた今、2009年に、M6.5があったという、私が、たまたま日本にいた時に、2回、震度3程度の直下型を経験している。いずれも、倒壊家屋はなく、死傷者も無かったと思う。

結局、今や、駿河湾沖地震と言わなくなってしまった。あの時、言った人は大勢いたが、いったい、どうなったのでしょうか、説明が欲しいくらいだ。あちこちの大地震が起きるたびに、その類の集団の人たち、“東海地震”と言い出し、次に、“東南海”そして“南海”最後に全部まとめて、“東南海地震“が、どうの、津波の高さが25M以上、などと、それが、30年以内に来る確率が80%だ、70%だ、口から出まかせで、私でもいえること言っている。その間にも、その他の地域で、被害が大きい地震が起きている。

そして、P波だ、S波だと、警報?また、何の役に立つのでしょうか、実際、役に立ったのでしょうか。その後の地震で、この警報は出されたのでしょうか。

きついね、ラスベガス。マシンガンを持ち出せる社会がすごいね。
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 日本で見ない花、地震や火山やツナミ、ていへんだ!!
タグ:地震 自信 自身
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