(^_-)-☆独立開業跡 [思い出]

 3631 家にじっとしていても仕方がないので、ぶらりと東へ向かった。昨日投稿してた、“退職から開業へ“の後を、今どうなっているか、辿ってみた。

先ず、裾野方面に向かってみた。小山君が住んでいた五龍の滝辺りから、葛山のフジプラ精工の跡地を探してみた。20年ぶりだ。いってみると、辺りはさま変わり、田舎の田んぼや野原や中途半端な沢、舗装されていない凸凹山道だったはずの場所が、方向が分からなくなるような狭い道がくねくねとした住宅地になってしまっていた。あったはずの目標が全くなくなってしまっていて、諦めた。もし、その場所を聞いても、知っている人はいないだろうと、諦めた。

246を下って、私が住んでいた長泉北小の脇を通って、沼津インターの脇を通って、なお南下し、昔の通勤道を辿った。沼津学園前の広い通り、東海道本線のガードをくぐり、国一を横切り、沼津市役所を左に見ながら、なお、南下、しばらく行って、斜め左、香貫山の裾野方面により、思い出を辿りながら、狭い魚の干物工場のが集まる場所に到達した。この辺りだが、なかなか見つからない。ぐるぐる回ってやっと見つけたのは、車の交差が難しそうな狭い道沿いだった。名取製作所が別の会社になっていた。あったあった。ここは、何年ぶりだろうか、二軒並んだ50坪ほどの建物、奥の方だ。まだ、あった。まだ、使われていた。45年前から40年前まで、ここで仕事をしていた。裏に大きなマンションができていた。隣の駐車場は、其のままだ。この今、自転車がある場所、名取の社長が工場の窓から顔を出して、“太田君、儲かっていそうでいいな”と、何度も言っていた。
xDSC00769.JPG
xDSC00779.JPG
DSC00780.JPG
富士山がこんな風に見える場所でした。


https://www.youtube.com/watch?v=8uxPHM6NDlA
Penampakan Panggung Band “Seventeen” Pasca Diterjang Tsunami
スンダ海峡津波の昨日のニュース。タンジュンルスンの現状をレポートしている、コンサートはプールと海岸の間の狭い広場でしたね。テントの骨組みがくしゃくしゃな状態で積みあがっていますね。プールの水が何故か亡くなっていますね。
https://www.youtube.com/watch?v=Kisy6z-gk1o
これは、このリゾートホテルのプロモーションビデオです。見る影の無くなってしまいましたね、再建するのでしょうか、どうするのでしょうか。 
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント