(^_-)-☆法事 [思うこと]

 3215 昨日とは、打って変わった雰囲気の、法事だった。父親の27回、母親の七回忌だった。オヤジ無くなって27年にもなるのかと思った。享年、81歳だった。多くの同じ年のころの男性は、戦死をしているので、死亡年齢の平均が50歳くらいだったことを思えば、かなりの長生きだったし、今に当てはめても平均だ。ただし、亡くなる数年前から、今でいう、認知症気味だった。多分、亡くなることを、意識していなかったのではないかと思う。母親は、享年96歳だった。母親も長生きをした。肺炎ということだったが、老衰だ。亡くなることを意識していた。

正月以来のファミリー集合でした。全員で14人、アメリカへ行っている一人をのぞいての出席、今時のファミリーは、こんなものでしょうね。また、正月には会いましょう。

今日もそうだったが、何人か集まる機会があると、必ず聞かれることがある。インドネシアの安全面のことと、生活の不自由さのことだ。それは、返事として、危険だとか、不自由だということを私が言うことを期待しているように、である。

私からの返事は、それらの期待を裏切って、ゼ~~ン全、そんなことはないよ、日本の方が、不自由が多いし、奇妙な事件が多いから、気を使うことがおおいと思うよ、である。

20年以上、運転手を使わないで自分で車の運転一つとっても、昨日も今日も高速道路やバイパスを入っている。気にするのは、車線、合流の仕方、追い越しや走行車線への戻り方、パトカー、覆面パトカー、オービス、前後の車間、後ろからの車の速度、などなどである。それも、何となくではなく、一応、緊張している自分を意識しながらである。同乗者がいれば、それらの人の、速度や車間距離など、受ける緊張感、ストレスも感じなければならない。私の感覚と違うはずだからだ。
インドネシアなら、それらのことを、ほとんど意識しない。運転は自由自在である。車線や車間、すべて、感覚で適当に決めるだけ、移動や変更も気まま、その都度、行き当たりばったりで何も問題ない。ちょっとした接触なんて挨拶代わり、あちこちに、事故車や故障車が止まっている。洪水でタイヤが見えなくなるほどの浸水道路でも、気にしない、路肩走行は違反だが、気にしない。
日本だったら、メチャクチャな割り込みと言われる状態がある。追い越し車線のノロノロ運転もある。しかし、それをメチャクチャと思う人はいないと思う、当たり前に予想されることだからだ。わき道からの一旦停車はない、道脇からの突然発進も当たり前、それで、プッツンと切れる運転者を見たことがないし、聞いたこともない、そんなニュースも全くない。危険だと思うこと、気を使うことがほとんどない、殺伐さがないのがいい。
割り込ませてもらったときに、いちいちお礼の合図をする、しない?こんな事まで、気を遣う、面倒くさい。
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昨日の写真と打って変わって、すぐそばの富士山も見えないくらい写真。
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