(^_-)-☆TPS 6 [押出成形]

 3264 給料対象の仕事以外のこと。看板つくり、垂れ幕つくり、何とか週間、何とか月間、その他、スローガンや目標など、何か催しがある時の案内書き、立てかける物、吊ったり張ったり、総務に頼まれたり,組合のことは自分からやっていた。大変重宝がられた。
碁や将棋の、他社との付き合いに突き合わされた。臼井国際や大東精機など、地域の会社との懇親や対抗戦などの催しに、休日や平日でも仕事が終わってから、人数合わせのために参加させられた。断れなかった。
社員レクレーション、忘年会、新年会、誕生日会、何とか会や慰安旅行、ハイキングや登山などのおぜん立てと、進行役。
そして、組合関連の仕事、7年の間、教宣部長、福委員長、委員長をした。社内だけでなく、上部団体にも引っ張りだされた。東レの組合長から、君、全繊同盟の専属にならないかと誘われたりもした、渡辺朗さん応援にも駆り出された。三年目に、組合員の平均給料が25000円くらいだった時に、8300円のベースアップを勝ちとったこともあった。たまたま、同業他社,地域他社の全体が、そういう環境だった。賃金事情という、雑誌が、それを表していた。ガラス繊維手当やテフロンコーティング手当など、環境改善と特別手当など、退職金制度も作ったし、社宅の建設も勝ちとった。社宅といえば、私が入居の第一号だったし、出てしまったのも第一号だった。現在駐車場になっていた。

このころ、学生運動が盛んな時で、学生時代から,共産党系民青と私たち穏健派(運動部系)との確執がって、就職しても、民青系の連中が、私から見れば、気に入らなかった。事実、頼まれたわけではないが、立候補したのは、民青系の外部からの介入で押された人が立候補したからだった。全繊同盟としては、会社としてはありがたかのだと思う。入社当時から、仕事以外にも、私的に、環境、生活面で気にかけてくれた総務部長と、24,5歳の若造が、個人的に予備交渉を重ねた。団体交渉で面倒なことにならないように、私なら、組合員を抑えてくれると、期待してくれていたのでしょう、私が要求したことに対し、無茶な要求ではないと、判断したのでしょう、ほとんど、満額回答で、工場長に進言をしてくれていた
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クルスマスイブでした。いつものように、小さなデコレーションケーキとモンブランで、ささやかなパーティーでした。孫、二人、すでに大きいので、ま、習慣的なものだった。今回から、プレゼントは、ナシ。
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金柑や柿の木の剪定をして、庭に広がっていた枝をなお細かく切って、庭から、隅の木の下に移して、妻の畑の整備も済ませた。時期が正しいのかどうか知らないが、桃と無花果の木を植えた。これで、ポポーが二本、ザクロ、桃、無花果を植えた。ポポーとザクロは芽吹き始めた。何年後でしょうか、果たして、自分で植えた果物の木、食べることができるでしょうか。  

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