(^_-)-☆最終日 [生活]

 3282 最後の買い物、例によって,納豆と黒はんぺんを仕入れた。インドネシアになく、日本でも安い。業務スーパーへ行った。安い。一般スーパーより2~30%安いような気がする。30人ほどにばらまく、どら焼きとキットカットも仕入れてしまった。これらは空港の免税店でも売っているが、三分に一の価格だ。納豆三パックで53円、黒はんぺん一パック10枚入っていて、75円、この辺りにスーパーでは、85円と100円だ。
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日本の夏に来て、その時には使っていたインドネシアからの衣服をそのまま持ってゆく。しかし、いつも、迷うのは、空港までどんな服を着てゆくかだ。結局、着て来た服そのままで行く、周りからは、非常に薄着に見えられると思うが、我慢するのは、移動中とホームだけだ。車内や空港内は、暖かい。

爺が女高生を引いてしまったしまった事件が起きたばかり、ブレーキを踏んでいなかったという、私も間一髪の急停車をさせられた。太田化工から自宅に向かう途中、左右の見通しが悪い、交差点、横断歩道のマークがある。普通に40kくらいではしていた。急に左から自転車がその横断ほどに入ってきた。止まって、左右の確認した様子はない、突然、前を横切った。急ブレーキをかけて、1mくらい手前でストップした。その老人、まったく、右の私の車を見ないまま、横切って行ってしまった。ご本人、何事もなかったようだった。 

「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず、未だ覚めず池塘春草の夢階前の梧葉すでに秋声」
若者はアッという間に年をとってしまい、学問はなかなか完成しにくい。だから、少しの時間でも軽軽しく過ごしてはならない。
 池の堤の若草の上でまどろんだ春の日の夢がまだ覚めないうちに、階段の前の青桐(あおぎり)の葉には、もう秋風の音が聞かれるように、月日は速やかに過ぎ去ってしまうものである。
朱 熹(しゅき) 1130-1200 南宋の哲学者・詩人

中学のころ、こんな漢詩にあっていた。私自身は今やその最後の秋声に至っている。おじさん、動いていないと死んじゃうマグロのようだね、と、甥辺りから言われる。すると、“カツオだから”と答える。納得らしい。

「ふゆのえんがわ ひねもす のたりのたりかな」春の海、ではないが、買い物に出る以外、最後の爪切りや金魚がいなくなった水槽の掃除など、縁側で日向ぼっこをしながら、過ごした。隠居老人はこんなものかと思うが、今日一日だけである。
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富士山の雪は5合目辺りまで降りてきていた。
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