(^_-)-☆結婚記念日 [思うこと]

 3303 結婚記念日、何回目だろうか、1970年2月1日、なぜ、この日だったのでしょうか。妻の仕事の関係で、この日にしたと思う。私の両親が負担してくれるというので、式や披露宴は静岡駅前の出来上がったばかりのクーポール結婚会館だった。遠方らこられる方には、わかりやすかったとおもう。仲人をしていただいたのは、一年前にお亡くなりになった、赤尾洋二先生でした。私たちが先生の仲人役の初めてだった。それぞれが、梨大や現職場からの同僚や上司、教授の方々に多く参列していただいた。
結婚後3月末で妻は横浜の学校を退職した。その8月に、ちょっと、大きくなったお腹で、静岡県庁へ行って、県の教員採用面接を受けた。そして、もっと大きくなったお腹で、大阪万博へも行った。翌年1月に、出産、4月から、県東部の小学校教員として勤めだした。慌ただしい、当時では珍しい、純粋な共稼ぎ生活が始まった。スーパーに夫婦でカート一杯の一週間分を買っている人は、ほかに見たことがなかった。一週間分で平均3000円くらいだった。二人の給料合計は、10万円くらいだった。

あれから、48年、妻は、孫の世話や地域の世話役など、忙しくしている。ずっと、私がいない生活をしている。長くいてほしいのか、長くいないでほしいのか、微妙だが、私が戻った日に、直ぐ、今度は、いつまでいるの?と聞かれる。家にいれば、いないときより、見方が増えた気分になるようではある。

こんな製品は、どうしましょうか。示された図面通りに異形品として成型するなら。金型費用が15万円ほどかかる。お客さんからの依頼は、一年で300本。殆ど、試作品の仕事だ。試作費用が3万円として、一本の値段が600円だ。そこで、パイプを切ることにした。サイズが近い金型はある。縦に切る冶具を作ればいい。1ジュタRpでできる。費用は試作費2ジュタで合計3ジュタRpで300本はできてしまう。それでも、一本1万Rp(80円くらい)になる。何万本と作るなら、一本10円くらいでできる代物だ。最初の300本は、これで、OKしてもらうしかないが、問題は、次の注文はどうするかだ。また、いつか300本と頼まれたら、そん時は、また、その時か。右下に元のパイプがある。
IMG_3252.JPG
試作品として、持っていって、取り付けた結果OKになった。試作POをお願いした。

一方が帰られた後、別の会社の方が見えられた。工場に入るなり、どこでも取ってOKといわれたので、というやいなや、工場内の写真を取り始めた。すごい態度の人だなと、呆気にとられた。撮影が終わったようなので、二回の応接室に案内をした。そして、私から、本来、押出の工場はノウハウが一杯あるので、お見せしないし、写真撮影も控えてもらうのが普通ですが、と、切り出した。すると、だから、昨日のメールで、撮影していいですかと、聞いたのです。と、言ってくれた。私の言いたいことが分かっていない。まったく、親しくもない,取引もないのに、撮影させてくださいなど、言うなよ、と言いたかったのだが、全然わかっていない。許可を取ったからいいといっている。態度がソンボン、こんな人もいるんだと思った。大企業の元社員と聞いている。
その流れで、今注文を出している会社から、一部、こちらに移したい、それには、最初はほんの一部から始まって、最終的には、半々の二社購買にするという。その、今、注文をだしている会社とは、私が立ち上げから面倒を見た会社で、その製品も私が作って取引を始めたものだから、原料や検査基準などなど、すべて私が決めたもの。しかし、御社にお願いした場合、一番心配なのが、原料を変えられてしまわないか、品質管理が十分できるかどうか、私がいなくなった場合、インドネシア人だけでやっていけるのだろうか、その点、責任を持てますか。と、まくしたてた。もう、この仕事、どうでも、よくなってしまった。付き合いたくないと思った。手伝ってもらいたいというのではなく、仕事をだしてやる的な言い方。

今のところから、仕事を回して増やす場合は、当然、値下げをしてもらうことが条件になるといわれた。恐れ入りました。結構です、どうぞ、今までのところだけにしておいてくださいと、口に出さなかった。

半々など、まっぴらごめんだし、やるなら、最初から全量でなければ、手伝わないという意識になった。
今月半ばで、その会社の社長を辞めて、後に引き継ぐというので、ま、いいか、次の社長との話になるから、と、気持ちを納めた。
IMG_3267.JPG
MM2100から、EJIPを通り過ぎ、リッポチカランを通過して、メイカルタの工事中の間を通過し、サッカースタジアムの脇を通って会社へ戻った。クレーンが林立しているが、本物かな?飾り?のように見える。
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感