(^_-)-☆スタート地点 [思うこと]

 3780 私が4年間お世話になった大学のプロファイルです。60年くらいも前のことです。当時、応用化学には、国富先生、人工宝石、特に水晶を作る技術を確立された方がいて、もう一つは、小学校の時に、山の子海の子交流会があって、私は、山梨大学の北、武田神社のすぐ横にある相川小学校へ行き、直ぐそばの塚原部落の子の家に二泊したことがあって、甲府の様子は何となく知っていたから、そして、そして、もう一つ、受験の科目が5科目と少なかったので、また、もう一つ,当時、高校の時には3000円、大学で9000円、その内の1000円、3000円を返せばいい特別奨学金の関係で、浪人は許されなかったので、梨大に入った。それが、幸いした。良き友人、先輩、後輩、教授、助教授会うことができた。
http://www.chem.yamanashi.ac.jp/
http://fc-nano.yamanashi.ac.jp/
 発酵生産学科と兄弟学科のようなものだったので、1.2年の時には、同じ講義を一緒に受けていた、ノーベル賞の大村先生、当時、発酵の助手として、講義や実験の手伝いをしていたが、ほとんど、目だたない存在だった。3年になってから、偶に見かける程度で、気に留めることはなかった。
https://sangakukan.jst.go.jp/journal/center_contents/author_profile/watanabe-m.html

それより、同級生、昨年、私を訪ねてインドネシアへやってきてくれた同級生の中の一人、渡辺 政廣(わたなべ まさひろ)君のプロファイルだ。山梨大学 燃料電池ナノ材料研究センター長 前 クリーンエネルギー研究センター長。彼は、応化の39人の中のトップの成績。お情け卒業だった私とは、別の世界に進んだ。私は、数学だけトップだったが、総合ではブービーだった。そりゃ、勉強をほとんどしないのだから当たり前だった。

しかし、私が今、インドネシアでブラブラできているのは、この四年間、あったからだと思っている。就職も仕事への取り組み方も結婚も、そして、押出職人として外国へ出ることも、全て、ここから、スタートしたと思う。

明日、ゴルフの後、客先の無理難題を何とかクリアーするための試作をする、明日が楽しみだ。その準備は、今日、ぎりぎりでできた。作った後、アニーリングの処理をしなければならないので、客先には火曜日に提出する。また、月曜日には、初めての日系の会社から、サンプルをもって、可能かどうか相談に来ることになっている。月曜日も楽しみだ。私が指導した日系の押出屋が三社あるのにである。
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ブカプアサ、15分前、コンビニへよって、蚊取り線香やインスタントブブールを買って、帰宅途中、
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Kamis 23 Mei 2019, 17:05 WIB
Ambulans Gerindra Pembawa Batu untuk Rusuh 22 Mei Milik PT Arsari Pratama
こりゃなんでしょう、木曜日に大統領選挙の結果が気に食わない連中が、ジャカルタで暴れたという話、きのう、救急車に投石用の石を詰め込んで運んできた簾中が捕まった。
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