(^_-)-☆パニック障害 [パニック障害]
その後どうなっているのか、私のパニック障害は。日本へ帰るたびに県立病院へ行って、袴田先生と世間話と私のインドネシアでの様子を話し、決まった薬を決まった数、処方してもらいます。それが、私の安心です。脈が飛んでしまって、めまいを起こしたり、過呼吸になって体中がぞっと冷たくなり、がたがた震えがきたりする、メインのとんでもない症状は、パキシルやコンスタンを飲んだ直後からなくなってしまい、その後も、その症状は全く出ていません。気管がふさがったような呼吸困難や脈拍数が200以上になって頭に血が上り、がんがんする症状も無くなった。ということで、パニック障害の症状は、パニック障害だからと断定できるものは無くなった。ただし、口の渇きが早くて、話をしずらくなる。涙の分泌が減ったようで、運転をしているときは特に目が乾き、目薬を離せない。など、パニック障害の前兆とも思える症状は今もある。しかし、これで、パニックになることはないわけで、パニック障害の症状とは言えない。歳の所為か、無茶な行動の所為か、そちらが原因ではないかと思う。
結局、今、振り返ってみると、パニック障害と病名を断定されたその日の夕方に、パニック障害は治ってしまっていたのです。
症状、心臓の鼓動が一時停止する、これは、24時間ホルダーでも、実際何人もの医者が手首を抑えて確認している。その時、なるほど、あなたは嘘を言っていない、程度にしか思ってくれなかったような気がする。事実、その症状に対し、誰も手を打とうとしなかった。私はそれが大変不満だった。大丈夫、死にはしないよ、いちいち、大騒ぎをしなさんな、と言っているように感じた。実際そう言った医者も何人かいた。
もう一つ、私が不満だったのは、心臓の脈が消えて、くらっと、来る、その直前、1秒くらい、体のどこか、場所は決まっていない、足のどこかだったり、お腹のどこかだったり、どこかの指先だったり、チンチンの先っぽだったり、耳の中だったり、とにかく場所は出鱈目なくらい、あちこちでした。針の先でちくっと刺されたような、一瞬(0.1秒)痛いと感じることもできないくらい、チクッと感じるのです。そのチクッがあれば必ず、クラッとなった。其のチクッが来るのが、今来るか、今来るかと、来ていない時も不安だった、そして、来る時は、何箇所かで連続で来る、その時は、連続でクラッとする。もう、立っていられなくなり、坐ってもいられなくなり、床に横になるしかない。そういう時は、もう、これで、この世ともお別れかと思う恐怖に襲われる。
それを、二カ月間、インドネシアでも日本でも多くに医者に話した。専門がそれぞれ違う医者に話をした。しかし、誰一人、そのことを真剣に受け止める人はいなかった、殆ど、聞き流されてしまった。多分、その医者たちは、そういう話を今まで誰一人からも聞いたことが無かったのでしょう。そして、そのチクッという感覚も全く想像できなかったのでしょう。症状の説明をしても無駄だと思うようになった。
勿論、同じ会社の、パワハラ担当の日本人は、頑固者が日本へ帰れて言っているのに、言うことを聞かないで、インドネシアで粘っている、迷惑な話だ、と周囲の人達に言っていたという話を後から聞いた。帰った時は逆に、帰るたな、と言ったのに、いうことを聞かないで帰ってしまった。自分勝手な奴だ、と周囲の人に言っていたという話を後から皆さんから聞いた。悲しい人たちだと同情しますが、彼らの病気は重症だし、言い薬はないと思う。
http://www.karacli.com/panicdisorder01.html
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0063.html
本当に参ってしまった。こんなに参ったしまったことは、後にも先にもなし、だから、薬を飲んで、チクッ、が無くなったときの喜びというか安堵は私にしか分からないでしょう。5年前の話でした。
インドネシアのある場所のあるところ
結局、今、振り返ってみると、パニック障害と病名を断定されたその日の夕方に、パニック障害は治ってしまっていたのです。
症状、心臓の鼓動が一時停止する、これは、24時間ホルダーでも、実際何人もの医者が手首を抑えて確認している。その時、なるほど、あなたは嘘を言っていない、程度にしか思ってくれなかったような気がする。事実、その症状に対し、誰も手を打とうとしなかった。私はそれが大変不満だった。大丈夫、死にはしないよ、いちいち、大騒ぎをしなさんな、と言っているように感じた。実際そう言った医者も何人かいた。
もう一つ、私が不満だったのは、心臓の脈が消えて、くらっと、来る、その直前、1秒くらい、体のどこか、場所は決まっていない、足のどこかだったり、お腹のどこかだったり、どこかの指先だったり、チンチンの先っぽだったり、耳の中だったり、とにかく場所は出鱈目なくらい、あちこちでした。針の先でちくっと刺されたような、一瞬(0.1秒)痛いと感じることもできないくらい、チクッと感じるのです。そのチクッがあれば必ず、クラッとなった。其のチクッが来るのが、今来るか、今来るかと、来ていない時も不安だった、そして、来る時は、何箇所かで連続で来る、その時は、連続でクラッとする。もう、立っていられなくなり、坐ってもいられなくなり、床に横になるしかない。そういう時は、もう、これで、この世ともお別れかと思う恐怖に襲われる。
それを、二カ月間、インドネシアでも日本でも多くに医者に話した。専門がそれぞれ違う医者に話をした。しかし、誰一人、そのことを真剣に受け止める人はいなかった、殆ど、聞き流されてしまった。多分、その医者たちは、そういう話を今まで誰一人からも聞いたことが無かったのでしょう。そして、そのチクッという感覚も全く想像できなかったのでしょう。症状の説明をしても無駄だと思うようになった。
勿論、同じ会社の、パワハラ担当の日本人は、頑固者が日本へ帰れて言っているのに、言うことを聞かないで、インドネシアで粘っている、迷惑な話だ、と周囲の人達に言っていたという話を後から聞いた。帰った時は逆に、帰るたな、と言ったのに、いうことを聞かないで帰ってしまった。自分勝手な奴だ、と周囲の人に言っていたという話を後から皆さんから聞いた。悲しい人たちだと同情しますが、彼らの病気は重症だし、言い薬はないと思う。
http://www.karacli.com/panicdisorder01.html
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0063.html
本当に参ってしまった。こんなに参ったしまったことは、後にも先にもなし、だから、薬を飲んで、チクッ、が無くなったときの喜びというか安堵は私にしか分からないでしょう。5年前の話でした。
インドネシアのある場所のあるところ
(^_-)-☆普段の感覚 [パニック障害]
一週間おねがいしていたお手伝いさんが子供の関係で、断ってきたので、新しい人を捜すことにした。
早速、現在キャディを休職させられている女性が暇つぶしの仕事を探していると言うので、来て貰う事にして、ゴルフを終了後、待ち合わせをして、家へ連れてきた。休業の理由が面白いというか気の毒、太り過ぎだと言う、三か月前に、身長と体重を測定して、その比率が太り過ぎということらしかった。三カ月以内に体重を下げるように言われて、目標を達成できなかったときは三カ月の休業を命じ、その間に減量出来れば再雇用するという話になっているのだそうです。それが適応されてしまったのです。
その女性、見た目、均整のとれたスタイルで、太り過ぎには見えない。どういう基準になっているのでしょうか、彼女が気の毒だと思う。今日改めて本人に聞いたら、SMSで化粧の仕方が悪いから来なくていいと言われたとか。25人先週言い渡され、今週5人また言い渡されたそうです。
気にいっていて、指名するプレーヤーがいる子も、容赦なく自宅待機にするそうで、一部の客が怒っているようだが、この制度、いつまで続くのでしょうか。
一年半ぶりにジャカルタのインターコンチネンタルのタケノコ診療所へ行ってきた。目的はパニック障害の薬が一回分になってしまったので、万が一の不安を消すためにその薬を処方してもらうこと、今回、新しい、保険会社の海外保険なので、その保険が使えることを確認したかった。それから、オマケで、頻繁に尿意を感じて起きてしまうのを何とかしたい、これは誰でも知っている甲状せん肥大原因と言いながらお尻の穴に指を突っ込んで、そうでもないな、でも、そうしておきましょうというお感じ、もう一つのオマケは、水虫の症状の右足の痒さを何とかしてほしい、でした。これも、検査の結果、水虫とは断言出来なかったらしいが、一応、症状から、水虫にしましょう。と言うことで、それらの薬も貰った。保険はしっかり効いた。一銭も払わなかった。
いずれも、深刻ではないので、ちょっとしたジャカルタトゥールでした。ビル火災(訓練?)の現場に遭遇した。と、タケノコ診療所の一部。
スイス氷河特急の脱線事故、日本人が亡くなったり重傷だったりと、ニュースが飛び込んできた。私も、昔、一部区間で利用したことがあるが。9月にもベルニナ地方を主にトレッキングしたいと思い、山小屋を一週間借りることにしてある。処で、ジャカルターミュンヘン(SQ)1450US$でした。安い。コリアンでインチョン経由、ジャカルター富士山静岡が1350US$これと比較して、お得感が一杯である。
早速、現在キャディを休職させられている女性が暇つぶしの仕事を探していると言うので、来て貰う事にして、ゴルフを終了後、待ち合わせをして、家へ連れてきた。休業の理由が面白いというか気の毒、太り過ぎだと言う、三か月前に、身長と体重を測定して、その比率が太り過ぎということらしかった。三カ月以内に体重を下げるように言われて、目標を達成できなかったときは三カ月の休業を命じ、その間に減量出来れば再雇用するという話になっているのだそうです。それが適応されてしまったのです。
その女性、見た目、均整のとれたスタイルで、太り過ぎには見えない。どういう基準になっているのでしょうか、彼女が気の毒だと思う。今日改めて本人に聞いたら、SMSで化粧の仕方が悪いから来なくていいと言われたとか。25人先週言い渡され、今週5人また言い渡されたそうです。
気にいっていて、指名するプレーヤーがいる子も、容赦なく自宅待機にするそうで、一部の客が怒っているようだが、この制度、いつまで続くのでしょうか。
一年半ぶりにジャカルタのインターコンチネンタルのタケノコ診療所へ行ってきた。目的はパニック障害の薬が一回分になってしまったので、万が一の不安を消すためにその薬を処方してもらうこと、今回、新しい、保険会社の海外保険なので、その保険が使えることを確認したかった。それから、オマケで、頻繁に尿意を感じて起きてしまうのを何とかしたい、これは誰でも知っている甲状せん肥大原因と言いながらお尻の穴に指を突っ込んで、そうでもないな、でも、そうしておきましょうというお感じ、もう一つのオマケは、水虫の症状の右足の痒さを何とかしてほしい、でした。これも、検査の結果、水虫とは断言出来なかったらしいが、一応、症状から、水虫にしましょう。と言うことで、それらの薬も貰った。保険はしっかり効いた。一銭も払わなかった。
いずれも、深刻ではないので、ちょっとしたジャカルタトゥールでした。ビル火災(訓練?)の現場に遭遇した。と、タケノコ診療所の一部。
スイス氷河特急の脱線事故、日本人が亡くなったり重傷だったりと、ニュースが飛び込んできた。私も、昔、一部区間で利用したことがあるが。9月にもベルニナ地方を主にトレッキングしたいと思い、山小屋を一週間借りることにしてある。処で、ジャカルターミュンヘン(SQ)1450US$でした。安い。コリアンでインチョン経由、ジャカルター富士山静岡が1350US$これと比較して、お得感が一杯である。
(^_-)-☆パニック障害の原因、症状、治療 [パニック障害]
ある人が会社へ来てインドネシアのちょっと昔の話をしていった。その中に、撤退し南部に売ることが決まっている会社の社長さんヒラノが、私が2006年に許可なく急きょ帰国してしまったと、其の人に話をしていたという話が出た。ということで、その他の人にも、私はとんでもない人だったと機会があるごとに言っていた、という話を色々な人から聞いていたので、もう一度、その時のことを載せることにした。もう、私が、インドネシアへ戻れない、何を言っても、私の耳には入らないと想って、私のことを悪者にして自分の状態を正当化しようとしていたことが分かった。
ということで、以前書いたパニック障害についてその原因と治るまでの経過をもう一度纏めて載せます。
一人でなくて良かった
今から思い起こすと大変な試練の日々でした。人の手助けだけを考えて行動している私が、強烈なパワハラの対象とされた事実を一週間にわたって書きます。同じような被害の体験者も多いと思う。今は解散したPT.KGS(間もなく私も再入場し押出成形をする可能性がでてきています)の日本本社の人は良く噛みしめて、読んでください。人生が開けます。
現在 発病以来約四年近くになります。すでに、ほとんど、普通に戻っています。原因がはっきりし、其れに合った薬を飲み続けているからです。病名はパニック障害(不安症候群)です。原因は過度の筋肉疲労と脳の使いすぎと神経の使いすぎだそうです。神経があちこちで誤動作をしてしまう立派な病気です。
インターネットで検索すれば詳しく知る事ができます。
こんなに分けが分からない大変な病気があったとは、全く知らなかった。あちこちで、いろいろな検査を繰り返しましたが、CTスキャン MRI+MRA 24時間レコーディングホルター、心電図、各種エコー、平衡機能検査、胸部、頚部X線、勿論血液、尿検査も全て異常なし。
インドネシアでは、国立心臓センター(Harapan Kita)、たけのこ、Medikaroka、Siloam、SOS,PERTAMINA ANISSA,それらも、二回三回のところもありました。いずれも、的確な病名を指摘してもらえなかった。すべての科から、数値的には正常として見離された。心臓などはこの位の不整脈は誰にでもあることで、いちいち、騒ぐのは臆病すぎるとまで、言われた。ただし、竹の子とアニッサは神経安定剤を処方してくれたので、若干の効果はあった。
この間、ずっと私の手伝いをしてくれたのがお手伝いのマリアさんでした。彼女は運転免許を持っていたので、真夜中でもジャカルタの病院へ送ってくれたし、入院中は病院から学校に通ったりして、何時もそばにいてくれた。私の病気は別名、孤独恐怖症候群ともいいます。一人の時、色々な症状が出やすいのです。またそれが恐怖になると、なお、出やすくなる。マリアさんがいてくれてどれほど助かったか知れない。
日本では日本医科大成田空港クリニック、そして、静岡県立総合病院、耳鼻咽喉科、神経内科、循環器科、からは見離され、その代わり、神経安定剤のデパス錠0.5mgを処方してもらった、これがとんでもないことになった7月26日、就寝21:00前に飲んで寝た、27日朝 4:30目がさめた、その時から、ひどいことになった。薬が切れたリバウンドだった。息苦しい、両手足はしびれ、痙攣し、しばらく我慢しようかとも思ったが、ただごとではないと感じ、タクシーで県立病院の救急医療室に飛びこんでしまった。
これが、ラッキーだったというか。救急医療室に着いたとたん、ほとんど、意識がなくなってしまったが、医者の診断は過呼吸障害だという。血液中の酸素が多すぎ炭酸ガスが足りないという。呼吸をできるだけ止めるように言われた。紙袋を顔に被せられた。息苦しいのは酸素が多すぎるのに、一生懸命呼吸をしようとするから、なお、酸素が多くなってしまう。初めて知った。(インドネシアではこんな症状が何度もあって、其の都度、死の恐怖を感じた。)
間もなく、正常に戻った。血液検査、胸のX線写真も全く問題なし、その他もやはり、全部正常。明日の朝、総合診療科にかかるようにアドバイスされ、家に戻った。
翌日09:30 最後の砦である、勧められた総合診療科で受診した。袴田医師である。とにかく、「あらゆる、検査結果が正常。これだけ正常な人は珍しいくらいだ、90-100まで生きますよ」。と言われながら、出された、症状チェック表、
1 息苦しい2 目眩がする 3 頭痛がする 4 頭が重い 5 動悸が気になる 6 胸が痛む 7 目の乾き 8 唾液が減少(口の渇き) 9 寒気
10 手足がしびれる 11体のあちこちでちくちく感じる 12気絶はしないがしそうになる 13死の恐怖を感じる 14 他人と話しをしている時は症状が現れにくい
15 一人でいるのが怖い16 それらがおさまっても、それらに対する恐怖心。
17 音に敏感になる。18 脈が飛ぶ。
続いて、見せられたのが、生活状況、1 普段疲れを余り感じない。2 頭脳を常に使っている。3 スポーツは盛んにやる。 4 職場でストレスを感じるが逃げない。
全てが、私に該当した。典型的な、不安症候群(パニック障害)と断定された。「ぴったりの薬があります。主な症状は二週間程度でなおります。」しかし、薬は三種類あり、どれも90%の人に効くということで、まず、其の一種類目から試し始めました。
コンスタンという薬が劇的に効いた。気絶しそうになる事は全くなくなった。それだけでも、不安の90%は解消した。
現在は、パニックはなくなっています。でも、まだ、以前の恐怖が忘れられず、また何か気絶しそうになるのではないか何処にいても、なにをしていても不安です。
ほとんど発病前にもどっています。
症状がほとんど消えた一ヵ月後、完全帰国の為の手続きと、身の周りの整理の為にインドネシアへ戻った。一週間ほどの間、親しい方たちに挨拶を済ませ、2006年8月25日PT.KGSと完全に切れた。三人の代表者の元で9年間非常に充実していたが、四人目の代表者のヒラノが着任してからあからさまないじめが始まった。
そのために派遣された営業の専門家と聞いていたが、仕事を獲得できないし、獲得したわずかな仕事も、間違えて、大損の見積もりを出し、やればやるほど損を大きくしていたのに、本人たちは、大儲けをしていると思い込んでいた。早く、私に入場されると、そういうことが、全て、引き継ぎで明らかになってしまうので、わざと、無血開城を遅らせていると勘繰りたくなる。そういう会社が、解散する状態を書いてあります。今は解散したPT.KGSの日本本社の人は良く噛みしめて、読んでください。目からうろこになるでしょう。
ポンティアナックで高級ホテルのホテルカプアスの朝食です。インドネシアではめったに食べない高級朝食です。ツインベッドルーム(朝食付き)で三千円、一人1500円と言うことになる。私は果物とソーセージにご飯はほんの少し、コーンフレークを少々です。マリアさんはナシクニン(黄色いご飯)に鶏肉をボイルしたものと野菜いためのようなものを取った。赤いサンバルが添えてある、これを付けながら食べるのです。鳥肉に付けてある赤いケチャップのようなものは辛くない。テーマニス(紅茶)やブアブアハン(果物類)はこれの外側に置いてある。
知っている、知らない [パニック障害]
努力はしない、頑張らない、一所懸命やったことが無いと言ったって、それは、自分の意識に内のことで、実際には、おそらく、1000人いても上から五番目以内に入る位の、動きと、頭を使ってきたと思う。それも、いつも、何人かの部下を置いて、私が社長だった時以外は、何人かの分からず屋の上司に気を使って、分けの分からないことを言っている人に、頭を下げなければならなかった。典型的なパニック障害になりやすい環境と性格のように思う。60過ぎまで顕著な発病をしなかったのがラッキーだったような気がする。
この病気は男女比でいくと、女性の方が多いらしい。それも、二十歳頃から発病する人もいるときいている。私の場合はハーフタイムどころかスリークオーター(三分の四)タイムと行ってもいいくらいに遅い休憩になったが、それでも、もっと年を取ってからよりの良かったのかもしれない。といっても、私の休憩タイムは一年足らずでした。そしてまた、普通の人ならストレスたっぷりの世界へ舞い戻っている次第です。
ネットでパニック障害を検索して、どんな病気かチェックしてみてください。知っているといないとでは人の見方や自分の状態の見方が違うと思います。あなたの身の回りにも、程度の差あれ、何人かのパニック障害の人がいるはずです。
症状も、感覚も、順番も、全く、個人個人で異なるようです。私の症状についてはパニック障害の項目で読んでもらえれば全て書いてありますが、その気持ちの上で、多くのパニック障害の皆さんと、大きく違う点があります。それは、私は、電車に乗ることはありませんが、飛行機や新幹線には良く乗ります。その、不特定多数の人が一緒にいるときには何も不安を感じません、症状もあらわれませんでした。もし症状があらわれても、どなたかが何とかしてくれると思っているからです。一人の時が、一番不安で、一人の時にかぎって症状が現れ、その程度も、ひどかったように思う。だから、病院では不特定多数が大勢いるし、ましてや何の専門か知らないが、医者がいるわけですから、症状はあらわれない時の方が多かった。だから、医者に説明するのが難しかった。体のあちこちでちくちくして、其のたびに脈が無くなって失神しそうになると、説明しても、医者は、全然、深刻には聞いてくれない。むしろ、三半規管がどうのこうのとか、脳波を取って見たら、とか、今から、思えば、的はずれの事を言っていただけだった。
いわんや、普通の人に話しても、分かってもらえない。ですから、パニック障害の人は意外に大勢、身近にいると考えて、知識を持っていただきたいと思います。知らないのに知ったかぶりして、いろいろ、アドバイスをしようとする人が、一番たちが悪い。いちいち、受け答えをするのも面倒だし、受け答えしても、頓珍漢な的外れの思い込みを口に出すだけなので、始末が悪い。この病気の人に対しては、無知で何か言うのは罪です。どうか、私のように、ひどい目に会わないように、会わせないようにしていただきたいと思います。
早起きは三文の徳、ジャングルの中に分け入って素晴らしい滝に出会う。外途中で、私の恋人ラルレシアに会うことができる。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
援助する会社、始まる会社PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの仮ウェブサイトです。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%204.html
インドネシアで知っていて、お得な情報です。予期せぬトラブルに巻き込まれないように、こんな知識が必要です。
覚悟の脱出劇 [パニック障害]
この前後の何日かの投稿を、ぜひ、ジャカルタ新聞やジャカルタ日本大使館、日本領事館、ジャカルタ日本人会の方々にも読んでいただきたいと思う。弱い人、自分で行動できない人なら、自殺でもしかねない状況だと思います。普通の人では同じようにはできません。私だから出来た行動でした。
彼らが見張っているので、どうしようもない。その日のチケットをキャンセルし木曜日13日の予約をした。彼らは、ハラパンキタの入院手続きを待ちながら、うろうろしているだけで、何をしに来たのかわからないが、「ここから、出ない様に」と言い残していなくなった。私の病気については何も考えていないのである。
11、12,13日、経理の大津さんが総務のユッサ君と共に、AIUから医療費を受け取るための書類などのことで、見舞いに来てくれていた。直ぐに、今まで払った全額が払いもどされた。約20万円ほどだった。脱出前に受け取れた。感謝です。
別の話だが、経理の手伝いに来ていた大津さんもパワハラの対象になっていた。一年くらいいて日本へ戻った。私とは三カ月ほどオーバーラップしただけだった。しかし、彼には世話になった。事務所で下手ノやうどウから大声で、どなられているのを何回か目撃した。怒っている理由が、やはり、二人の知識なしだったことは明らか。
決行について、もし、下手ノに話せば、今度は帰国なんて、とんでもないと妨害される。既に一度邪魔されているのですから、退院手続きをした後、病院に頼んで、出発時間まで、居させてもらった。そして、誰にも告げず13日、22時病院から抜け出し、直接空港に向かい日本へ出発した。そこまで、マリアさんが献身的な世話をしてくれた。空港で、感謝感激で分かれた。再会を誓った。インドネシアからの決死の脱出劇でした。
私が下手ノに言ったことに耳を傾けず、自分で医者に確認することもしないで、「帰れ、帰れ」と言っていた人が、医者からの話を聞いたとたんに、「帰ってはならない、」になってしまった。
私が、彼らを無視して、帰国してしまったことを、今度は、他の日本人に、「太田はとんでもない奴だ」と、話したそうです。帰らなくてもトンデモナイ、帰ってしまってもトンデモナイ。今でも、彼が、可愛がっている通訳のデウィからの話でした。どこまでいっても、底抜けにおバカさんで、手の打ちようが無い重病人ですな。 通訳の意識的な間違った噂を吹き込まれ、操られていた操り人形(ワヤン)であることに気が付いていない。下手ノは現在でも、其の通訳の紐を切られたくないので、唯一の頼りだから、仕方が無い。
サテライトでも機内でも、何度も脈拍が飛んだ、其のたびに、もうだめかと思った。真夜中のフライトで一睡もできなかった。14日朝成田着、頭ががんがん痛む、ふらふらしながら、日本医大成田空港クリニック(ココでもAIUが効く)に転がり込んだ。CTスキャン、心電図、頚部レントゲン、結果、悪いところなし。一時間半ほど点滴を受けながら横になった。なんとなく歩けるようになったので、また、頭がふらふらしながら、成田エクスプレスで、東京駅へやっと着いた。しかし、頭ががんがんして新幹線ホームまで行けない。警備の警官に連れて行ってもらい駅の旅行者診療所で、一時間ほど横にならせてもらった。家まで、よく、自力でたどり着いたと思う。普通は12:00前に家に着くが、この時は17:00過ぎていた。妻には知らせてあったので、あまり深刻に考えていなかったようだった。生きて、自力でたどり着いて、コンナほっとしたことはなかったが、これから、また、試練が待っていた。
今日に話。チカンペックの高速道路の終点から東へ5Km位のゴム園の中にあった韓国人経営のストロー製造会社を見に行ってきた。15ライン以上のストローしか作らない会社でした。
二ヶ月くらい前に立ち行かなくなって韓国人は消えてしまった。跡をその土地の人たちが管理しているらしい。電気代も滞納で切られていた。当然、給料も未払いのままである。装置を買うつもりで見に行ったのだが、どうも、その売ってお金をどういう具合に配分することになっているか決まっていないらしくて、お金を払っても、安全に持ち出せるかどうか心配になってきた。代表らしき人は、幾らかの金をばら撒かなければならないと言うが、誰にいついくら渡せば安全が保障されるのかはっきりしてほしいと頼んだが、はっきり言えないらしい。
会社まで、届けてもらって、支払うということにしないと、どうも危なそうでる。韓国企業らしい締め方である。
ストローの折り曲げ部分のジャバラを着ける装置、一分間に250本出来るそうです。韓国製。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの開店案内はこちらから。
彼らが見張っているので、どうしようもない。その日のチケットをキャンセルし木曜日13日の予約をした。彼らは、ハラパンキタの入院手続きを待ちながら、うろうろしているだけで、何をしに来たのかわからないが、「ここから、出ない様に」と言い残していなくなった。私の病気については何も考えていないのである。
11、12,13日、経理の大津さんが総務のユッサ君と共に、AIUから医療費を受け取るための書類などのことで、見舞いに来てくれていた。直ぐに、今まで払った全額が払いもどされた。約20万円ほどだった。脱出前に受け取れた。感謝です。
別の話だが、経理の手伝いに来ていた大津さんもパワハラの対象になっていた。一年くらいいて日本へ戻った。私とは三カ月ほどオーバーラップしただけだった。しかし、彼には世話になった。事務所で下手ノやうどウから大声で、どなられているのを何回か目撃した。怒っている理由が、やはり、二人の知識なしだったことは明らか。
決行について、もし、下手ノに話せば、今度は帰国なんて、とんでもないと妨害される。既に一度邪魔されているのですから、退院手続きをした後、病院に頼んで、出発時間まで、居させてもらった。そして、誰にも告げず13日、22時病院から抜け出し、直接空港に向かい日本へ出発した。そこまで、マリアさんが献身的な世話をしてくれた。空港で、感謝感激で分かれた。再会を誓った。インドネシアからの決死の脱出劇でした。
私が下手ノに言ったことに耳を傾けず、自分で医者に確認することもしないで、「帰れ、帰れ」と言っていた人が、医者からの話を聞いたとたんに、「帰ってはならない、」になってしまった。
私が、彼らを無視して、帰国してしまったことを、今度は、他の日本人に、「太田はとんでもない奴だ」と、話したそうです。帰らなくてもトンデモナイ、帰ってしまってもトンデモナイ。今でも、彼が、可愛がっている通訳のデウィからの話でした。どこまでいっても、底抜けにおバカさんで、手の打ちようが無い重病人ですな。 通訳の意識的な間違った噂を吹き込まれ、操られていた操り人形(ワヤン)であることに気が付いていない。下手ノは現在でも、其の通訳の紐を切られたくないので、唯一の頼りだから、仕方が無い。
サテライトでも機内でも、何度も脈拍が飛んだ、其のたびに、もうだめかと思った。真夜中のフライトで一睡もできなかった。14日朝成田着、頭ががんがん痛む、ふらふらしながら、日本医大成田空港クリニック(ココでもAIUが効く)に転がり込んだ。CTスキャン、心電図、頚部レントゲン、結果、悪いところなし。一時間半ほど点滴を受けながら横になった。なんとなく歩けるようになったので、また、頭がふらふらしながら、成田エクスプレスで、東京駅へやっと着いた。しかし、頭ががんがんして新幹線ホームまで行けない。警備の警官に連れて行ってもらい駅の旅行者診療所で、一時間ほど横にならせてもらった。家まで、よく、自力でたどり着いたと思う。普通は12:00前に家に着くが、この時は17:00過ぎていた。妻には知らせてあったので、あまり深刻に考えていなかったようだった。生きて、自力でたどり着いて、コンナほっとしたことはなかったが、これから、また、試練が待っていた。
今日に話。チカンペックの高速道路の終点から東へ5Km位のゴム園の中にあった韓国人経営のストロー製造会社を見に行ってきた。15ライン以上のストローしか作らない会社でした。
二ヶ月くらい前に立ち行かなくなって韓国人は消えてしまった。跡をその土地の人たちが管理しているらしい。電気代も滞納で切られていた。当然、給料も未払いのままである。装置を買うつもりで見に行ったのだが、どうも、その売ってお金をどういう具合に配分することになっているか決まっていないらしくて、お金を払っても、安全に持ち出せるかどうか心配になってきた。代表らしき人は、幾らかの金をばら撒かなければならないと言うが、誰にいついくら渡せば安全が保障されるのかはっきりしてほしいと頼んだが、はっきり言えないらしい。
会社まで、届けてもらって、支払うということにしないと、どうも危なそうでる。韓国企業らしい締め方である。
ストローの折り曲げ部分のジャバラを着ける装置、一分間に250本出来るそうです。韓国製。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの開店案内はこちらから。
一人でなくて良かった [パニック障害]
今から思い起こすと大変な試練の日々でした。人の手助けだけを考えて行動している私が、強烈なパワハラの対象とされた事実を一週間にわたって書きます。同じような被害の体験者も多いと思う。今は解散したPT.KITAGAWAの日本本社の人は良く噛みしめて、読んでください。人生が開けます。
現在 発病以来約三年半近くになります。すでに、ほとんど、普通に戻っています。原因がはっきりし、其れに合った薬を飲み続けているからです。病名はパニック障害(不安症候群)です。原因は過度の筋肉疲労と脳の使いすぎと神経の使いすぎだそうです。神経があちこちで誤動作をしてしまう立派な病気です。
インターネットで検索すれば詳しく知る事ができます。
こんなに分けが分からない大変な病気があったとは、全く知らなかった。あちこちで、いろいろな検査を繰り返しましたが、CTスキャン MRI+MRA 24時間レコーディングホルター、心電図、各種エコー、平衡機能検査、胸部、頚部X線、勿論血液、尿検査も全て異常なし。
インドネシアでは、国立心臓センター(Harapan Kita)、たけのこ、Medikaroka、Siloam、SOS,PERTAMINA ANISSA,それらも、二回三回のところもありました。いずれも、的確な病名を指摘してもらえなかった。すべての科から、数値的には正常として見離された。心臓などはこの位の不整脈は誰にでもあることで、いちいち、騒ぐのは臆病すぎるとまで、言われた。ただし、竹の子とアニッサは神経安定剤を処方してくれたので、若干の効果はあった。
この間、ずっと私の手伝いをしてくれたのがお手伝いのマリアさんでした。彼女は運転免許を持っていたので、真夜中でもジャカルタの病院へ送ってくれたし、入院中は病院から学校に通ったりして、何時もそばにいてくれた。私の病気は別名、孤独恐怖症候群ともいいます。一人の時、色々な症状が出やすいのです。またそれが恐怖になると、なお、出やすくなる。マリアさんがいてくれてどれほど助かったか知れない。
日本では日本医科大成田空港クリニック、そして、静岡県立総合病院、耳鼻咽喉科、神経内科、循環器科、からは見離され、その代わり、神経安定剤のデパス錠0.5mgを処方してもらった、これがとんでもないことになった7月26日、就寝21:00前に飲んで寝た、27日朝 4:30目がさめた、その時から、ひどいことになった。薬が切れたリバウンドだった。息苦しい、両手足はしびれ、痙攣し、しばらく我慢しようかとも思ったが、ただごとではないと感じ、タクシーで県立病院の救急医療室に飛びこんでしまった。
これが、ラッキーだったというか。救急医療室に着いたとたん、ほとんど、意識がなくなってしまったが、医者の診断は過呼吸障害だという。血液中の酸素が多すぎ炭酸ガスが足りないという。呼吸をできるだけ止めるように言われた。紙袋を顔に被せられた。息苦しいのは酸素が多すぎるのに、一生懸命呼吸をしようとするから、なお、酸素が多くなってしまう。初めて知った。(インドネシアではこんな症状が何度もあって、其の都度、死の恐怖を感じた。)
間もなく、正常に戻った。血液検査、胸のX線写真も全く問題なし、その他もやはり、全部正常。明日の朝、総合診療科にかかるようにアドバイスされ、家に戻った。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの開店案内はこちらから。MM2100内の場所の地図を加えました。
果物はCimpedakです。今が旬です。臭いはドリアン、姿はナンカ、味は独特の甘さです。
現在 発病以来約三年半近くになります。すでに、ほとんど、普通に戻っています。原因がはっきりし、其れに合った薬を飲み続けているからです。病名はパニック障害(不安症候群)です。原因は過度の筋肉疲労と脳の使いすぎと神経の使いすぎだそうです。神経があちこちで誤動作をしてしまう立派な病気です。
インターネットで検索すれば詳しく知る事ができます。
こんなに分けが分からない大変な病気があったとは、全く知らなかった。あちこちで、いろいろな検査を繰り返しましたが、CTスキャン MRI+MRA 24時間レコーディングホルター、心電図、各種エコー、平衡機能検査、胸部、頚部X線、勿論血液、尿検査も全て異常なし。
インドネシアでは、国立心臓センター(Harapan Kita)、たけのこ、Medikaroka、Siloam、SOS,PERTAMINA ANISSA,それらも、二回三回のところもありました。いずれも、的確な病名を指摘してもらえなかった。すべての科から、数値的には正常として見離された。心臓などはこの位の不整脈は誰にでもあることで、いちいち、騒ぐのは臆病すぎるとまで、言われた。ただし、竹の子とアニッサは神経安定剤を処方してくれたので、若干の効果はあった。
この間、ずっと私の手伝いをしてくれたのがお手伝いのマリアさんでした。彼女は運転免許を持っていたので、真夜中でもジャカルタの病院へ送ってくれたし、入院中は病院から学校に通ったりして、何時もそばにいてくれた。私の病気は別名、孤独恐怖症候群ともいいます。一人の時、色々な症状が出やすいのです。またそれが恐怖になると、なお、出やすくなる。マリアさんがいてくれてどれほど助かったか知れない。
日本では日本医科大成田空港クリニック、そして、静岡県立総合病院、耳鼻咽喉科、神経内科、循環器科、からは見離され、その代わり、神経安定剤のデパス錠0.5mgを処方してもらった、これがとんでもないことになった7月26日、就寝21:00前に飲んで寝た、27日朝 4:30目がさめた、その時から、ひどいことになった。薬が切れたリバウンドだった。息苦しい、両手足はしびれ、痙攣し、しばらく我慢しようかとも思ったが、ただごとではないと感じ、タクシーで県立病院の救急医療室に飛びこんでしまった。
これが、ラッキーだったというか。救急医療室に着いたとたん、ほとんど、意識がなくなってしまったが、医者の診断は過呼吸障害だという。血液中の酸素が多すぎ炭酸ガスが足りないという。呼吸をできるだけ止めるように言われた。紙袋を顔に被せられた。息苦しいのは酸素が多すぎるのに、一生懸命呼吸をしようとするから、なお、酸素が多くなってしまう。初めて知った。(インドネシアではこんな症状が何度もあって、其の都度、死の恐怖を感じた。)
間もなく、正常に戻った。血液検査、胸のX線写真も全く問題なし、その他もやはり、全部正常。明日の朝、総合診療科にかかるようにアドバイスされ、家に戻った。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの開店案内はこちらから。MM2100内の場所の地図を加えました。
果物はCimpedakです。今が旬です。臭いはドリアン、姿はナンカ、味は独特の甘さです。
斜めからインドネシアを眺めよう 443 [パニック障害]
バリの元気な小学生たち
師走ですが、その雰囲気全くない、クリスマスセールが始まり、ショッピングモールの綿のトゥリーが目立つ程度です。
先々週木曜日にやっと、見つけて、会うことができたSiloam病院の精神科の医者が処方してくれたFluoxetine 20mgと,Alprazolam 0.5mg 朝食後、夕食後にそれぞれ一錠飲む、というのは,残念ながら、私の症状には効き目がないようです。タケノコのSertraline 50mgとAlprazolam 0.5mgのほうがましである。
この頃の症状は、2006年にパニックになり始めた時に似て来てしまった。日本からの、パキシルとコンスタンを飲めば症状は完全に消えて、二三日は消えたままになるが、もう、四回分しか残っていない。インドネシアで手に入れた薬を飲みながら、ひどいときだけ日本からの薬を飲んで、県立病院を予約した、年末25日まで、なんとか、持たせたい。
しかし、脈が一瞬抜けて、くらっとして、立っていられなくなっても、もう、その状態に慣れてしまっているので、パニックにはならない。すぐ病院へ駆け込もうとは思わない。命にかかわることは100%無いと思っている。問題は、頭がしばらく重い状態がのこり、それが収まるまで、じっとしていなければならないことです。5分ぐらいで、普通に戻ります。ひどい時で、一日二回です。寝ているときは知りません。
自分でもやらなければならないことがたくさん残っているし、他の人たちからも、頼りにされている。もう少し、両方ともから解放されればいいと思っているくらいで、自分が、誰からも必要とされていない、生きている価値がない、などとは微塵も思わない。だから、うつ病ではないことは分かっている。しかし、うつ病は、誰かからの一言で、がらっと、考え方が変わって、直ってしまう、らしい。パニック障害も、誰かの一言で治ってほしいものです。
私のための、誰かの一言になるかどうか、K社の常務が解任されたことを初めて知った。これで、社内のセクハラ、パワハラが無くなり、風通しがいい、社風になるでしょう。強く買いです。
パラウントベッドさんのカレンダーの今月の写真はパンガンダラン東海岸のサンライズです。私の自慢の一枚です。
師走ですが、その雰囲気全くない、クリスマスセールが始まり、ショッピングモールの綿のトゥリーが目立つ程度です。
先々週木曜日にやっと、見つけて、会うことができたSiloam病院の精神科の医者が処方してくれたFluoxetine 20mgと,Alprazolam 0.5mg 朝食後、夕食後にそれぞれ一錠飲む、というのは,残念ながら、私の症状には効き目がないようです。タケノコのSertraline 50mgとAlprazolam 0.5mgのほうがましである。
この頃の症状は、2006年にパニックになり始めた時に似て来てしまった。日本からの、パキシルとコンスタンを飲めば症状は完全に消えて、二三日は消えたままになるが、もう、四回分しか残っていない。インドネシアで手に入れた薬を飲みながら、ひどいときだけ日本からの薬を飲んで、県立病院を予約した、年末25日まで、なんとか、持たせたい。
しかし、脈が一瞬抜けて、くらっとして、立っていられなくなっても、もう、その状態に慣れてしまっているので、パニックにはならない。すぐ病院へ駆け込もうとは思わない。命にかかわることは100%無いと思っている。問題は、頭がしばらく重い状態がのこり、それが収まるまで、じっとしていなければならないことです。5分ぐらいで、普通に戻ります。ひどい時で、一日二回です。寝ているときは知りません。
自分でもやらなければならないことがたくさん残っているし、他の人たちからも、頼りにされている。もう少し、両方ともから解放されればいいと思っているくらいで、自分が、誰からも必要とされていない、生きている価値がない、などとは微塵も思わない。だから、うつ病ではないことは分かっている。しかし、うつ病は、誰かからの一言で、がらっと、考え方が変わって、直ってしまう、らしい。パニック障害も、誰かの一言で治ってほしいものです。
私のための、誰かの一言になるかどうか、K社の常務が解任されたことを初めて知った。これで、社内のセクハラ、パワハラが無くなり、風通しがいい、社風になるでしょう。強く買いです。
パラウントベッドさんのカレンダーの今月の写真はパンガンダラン東海岸のサンライズです。私の自慢の一枚です。
斜めからインドネシアを眺めよう 432 [パニック障害]
失礼ながら私だと思います。バリのニルワナゴルフの海越えのショートホールのティーグラウンド、後ろは、かの有名なタナロットです。
日本の本社が倒産した会社のインドネシア工場がある。インドネシア工場は受注が好調で、客先も、生産がストップしてしまうことを、心配している。かなり、現地では頼りにされている会社で、現地社長さんも有名人である。将来も、かなりの仕事量を依頼される可能性がある。この現地会社を、どこかの会社が、これを機会に、購入しようと動いてもおかしくないと思う。
昨日Fluoxetine 20mgと,Alprazolam 0.5mg 朝食後、夕食後にそれぞれ一錠飲む。 ジャカルタの日本人医師から処方されたSertraline 50mgとAlprazolam 0.5mg 夕食後、一緒に一錠ずつ飲んでいた、効果が低いように感じていたし、日本の掛り付けからもらった薬が残り7日分になってしまっていた。一時帰国は年末になるし、ちょっと、焦りながら、新たにインネシアの専門家を見つけたかったのでした。
結局、一種類が違うのと、飲み方が違うのですが、効果のほどは如何に、仕事はしないように、いろいろ考えないように、集中しなければならないことをしないように、と、言われた。このブログを毎日投稿していることも、本当は、良くないのかもしれない。
象足病はフィラリア(蚊が媒介する紐のように細く長い寄生虫、犬にかかるだけと思っていた)が人間に寄生して腫れるから、足を蚊が刺すので、足に寄生し始める。もう一つ、問題になっているのは、その薬を飲んだ人たちが、亡くなっている。薬が原因では無いと、医者は言っている。
この頃、何となくうれしい情報が入ったり、新しい出会いがあったりして、気分を良くしている。一人、ひそかにtersenyum状態である。
http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage0051.html
斜めからインドネシアを眺めよう 431 [パニック障害]
インドネシアでは奇妙なことが多い。象足病について書きましたが、今度は、人面鯉ではなく、ワ二の頭をした魚、胴体から尻尾までは明らかに魚、ヒレは魚と同じだが足はない。体長は500mmくらいだが、頭が、200mmくらいある。鱗はシーラカンスのように大きい。誰かが巧妙に繋げたのではないかと疑いたくなる。
お腹から、針金が何本も生えてくる病気といい、こぶ(大きなイボ)?だらけの人間といい、作りものではないかと疑いたくなるが、科学的な分析や研究についての学者からの発言はない。象足病は一人や二人ではなく、その部落に住む人たちだけ、数人いるという。なにか、特殊な化学物質がその付近にあるのでしょうか、原因はまったくわかってない。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
夕方、やっと、Dr.Psikiater(精神科医者)がいるLippo CikarangのSiloam病院へいってきた。いろいろな総合病院を訪ねて、パイック障害(Panic Disorder)
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0063.html
の薬を探した。しかし、パニック障害という病名さえ知らない。とにかく其の道専門の医者に会う必要を感じていた。
Harapan kularga病院で歯医者に通いながら、総合診療や精神内科などの医者に相談したところ、シロアムに精神病の医者がいるから行ってみたら、と言われた。
それが、一か月前。火曜日と木曜日の16:00以後にいると聞いた。そこで今月初めの両日に直接行って、医者を待った、其の都度、医者から連絡があって、今日は、出勤できないと電話が入って、無駄足を、ふまされた。一度は、17:00に行ったら、医者から電話が入って、患者はいるかと聞かれ、居ないと答えたら、今日は出勤しないと言われたそうで、その日も、無駄足だった。ついに、予約をすることにした。それが今日の17:00でした。受付で、聞かされたことは、今日は来る予定になっているがまだ来ていないと、言われた。何時になるか分からい。17:30にこちらへ向かっているドクターから連絡が入って、18:30ぐらいまでに着くと。外へ食事に出て、戻って来たのが、18:30でしたが、まだ来てない。結局、医者が着いたのが、19:00でした。ポンドックインダーから、移動だったらしいが、高速道路が事故のため,渋滞だったそうで、申し訳ないと、謝っていた。
やっと、待った甲斐があって、パニック障害の薬を手に入れることができた。この女医さん、パニック障害については、確かに専門と感じた、医者の方から、症状について聞いてきた。私はそれに対し、あれも、それも、と返事をしただけだった。
良く効く薬ということで、二種類を処方してくれた。麻薬の一種なので、医者の処方がなければ手に入れることはできないとも、云っていた。二週間分もらって、費用は26万Rp(2600円)でした。
2週間後にまた予約していくことにした。今後は待たされないことを願う。そして、何より、今回の薬が効くことを祈る。明日の朝食後から飲み始める。
お腹から、針金が何本も生えてくる病気といい、こぶ(大きなイボ)?だらけの人間といい、作りものではないかと疑いたくなるが、科学的な分析や研究についての学者からの発言はない。象足病は一人や二人ではなく、その部落に住む人たちだけ、数人いるという。なにか、特殊な化学物質がその付近にあるのでしょうか、原因はまったくわかってない。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
夕方、やっと、Dr.Psikiater(精神科医者)がいるLippo CikarangのSiloam病院へいってきた。いろいろな総合病院を訪ねて、パイック障害(Panic Disorder)
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0063.html
の薬を探した。しかし、パニック障害という病名さえ知らない。とにかく其の道専門の医者に会う必要を感じていた。
Harapan kularga病院で歯医者に通いながら、総合診療や精神内科などの医者に相談したところ、シロアムに精神病の医者がいるから行ってみたら、と言われた。
それが、一か月前。火曜日と木曜日の16:00以後にいると聞いた。そこで今月初めの両日に直接行って、医者を待った、其の都度、医者から連絡があって、今日は、出勤できないと電話が入って、無駄足を、ふまされた。一度は、17:00に行ったら、医者から電話が入って、患者はいるかと聞かれ、居ないと答えたら、今日は出勤しないと言われたそうで、その日も、無駄足だった。ついに、予約をすることにした。それが今日の17:00でした。受付で、聞かされたことは、今日は来る予定になっているがまだ来ていないと、言われた。何時になるか分からい。17:30にこちらへ向かっているドクターから連絡が入って、18:30ぐらいまでに着くと。外へ食事に出て、戻って来たのが、18:30でしたが、まだ来てない。結局、医者が着いたのが、19:00でした。ポンドックインダーから、移動だったらしいが、高速道路が事故のため,渋滞だったそうで、申し訳ないと、謝っていた。
やっと、待った甲斐があって、パニック障害の薬を手に入れることができた。この女医さん、パニック障害については、確かに専門と感じた、医者の方から、症状について聞いてきた。私はそれに対し、あれも、それも、と返事をしただけだった。
良く効く薬ということで、二種類を処方してくれた。麻薬の一種なので、医者の処方がなければ手に入れることはできないとも、云っていた。二週間分もらって、費用は26万Rp(2600円)でした。
2週間後にまた予約していくことにした。今後は待たされないことを願う。そして、何より、今回の薬が効くことを祈る。明日の朝食後から飲み始める。