(^_-)-☆喉に何か? [病]

 2317 歯医者で世話になっているハラパンクルアルガ病院に行ってきた。今回は歯医者ではなく、喉に何かが詰まってきていて、次第に呼吸が難しくなってきているような気がして、何か、出来ものでも出来ているのではないかと思い、行ってみた。パニック障害の時の症状の一つにも同じようなことがあったので、パニック障害の薬を二日前に飲んでみたが、治る方向ではなかった。

最初、ウムウム科という公共という意味だが、そこへ行くように指示されて行ってみた。その前に、血圧と体重を計った、血圧は昔の空気を送って抜きながら測るやり方で、何故か、両方の腕で測ってくれた。何故かと聞いたら、ちょっと高めだったのでという。理由になっていないと思うが。
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ウムウムでは、問診と胸の音を確認、気になるのは喉だけで、他のどこも痛くないし、苦しくもないということで、耳鼻咽喉科(THT)に掛かるように言われた。紹介文を渡されて、耳鼻咽喉科へ行った。バチックの青年がその部屋に入って行って、直ぐ出てきて、私を呼んだ。全然、ドクターっぽくないが、非常に丁寧に、色々解説しながら診察をしてくれた。何語が良いかというから、日本語と答えたら、それじゃ困ると言われ、それなら、インドネシア語でお願いしますと。問診の後、首の回りを触診、その後、喉の絵というか、写真を指さしながら、各部の説明をし、特に酷い以上はみあたらないが、今から喉の奥をこんな具合に見ますと、指でその絵の口から首の奥の方までなどって見せた。あ、そうか、今からカメラを入れるのか、それにしても、モニターがないし、外に行った看護婦にどこかに取りに行かせるのかなと思っていたら、ドクター、引き出しの中から長い柄のついた小さな丸い鏡を取りだした。歯医者が、歯の情況を観察するやつだ。これを、今から、ゆっくりと、などの奥まで入れて様子を見るという。看護婦が戻ってきた。マスクと不織布の切れぱしだった。マスクはドクターがする。布は?聞く前に、せ夢いしてくれた。これで、舌の先を出来るだけ長く出してもらって、私が引っ張りながら、鏡をゆっくり、奥まで入れて行くという。

ヘッドライトを付けたドクターが私と面と向かって舌を引っ張って覗き込んでいる。相当、滑稽な状態ではないかと思う。息を吐く声と吸う声を出すように要求された。これって、大きな口を開けながら、やるのは難しいが何とか出来た。しかし、よく、ドクターの言うことが理解できるなと、自分ながら感心した。

診察の結果、口の中も舌も声帯の情況は正常、ただし、舌の付け根付近がラダンだという。Radang炎症がある、でした。全く、心配するほどに状態ではないので、炎症を消す薬と何故かアレルギーと痒み薬を出すという。歳が71ですよね。唾液やその他の水分の分泌が少なくなっているので、加齢とともにこういう症状は出てきますよ、排気ガスや職場のポリューションなどにも敏感に影響されるから、いつも、水を持っていて、少しでいいから、飲むようにした方がいいと、アドバイスでした。


タグ:炎症 THT
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(^_-)-☆まいったが [病]

 2239 高齢者の一人暮らし、それも、外国、昨日夕方から、なんとなく、冷や汗をかき、寒気がしていた。次第に、頭がくらくらしてきた。おまけに、夕食を取っていないのに吐き気がしてきた。やー、このまま、どうしようか、気でも失ったら、どうにもならない、病院へ行くしかない、22時を過ぎていた。勿論、自分で運転して、シロアムに向かった。駐車場に入ると右手に救急の入り口が見えた。入ってゆくと、すぐに、当番医?が近付いてきて、血圧と体温を計りながら、私の症状を聞いてくれた。その後、その場にある受付でダフタール(申請)を済ませた。掛かったことがあるかと聞かれたので、10年ほど前に一度あるといいながら、受け取ったばかりのKITASを出した。“在りました、住所はグラハチカランですね”と言われた。当時はそうでしたが、今は、タマンセントサだと言ったら、構わないから、以前のままにしておきましょう、だった。“保険がない、プリボディで”と言っておいた。

当時、パニック障害とは全く知らなかった時だが、一瞬。気絶しそうになることを数回繰り返す状態で、この病院に駆け込んだのでした。結局、血液検査や心電図を取ったが異常なしで、やはり、目眩を改善する薬を貰って出てきた。その後いくつかの病院を巡ることになって、最終的には日本に脱出したのでしたが、それ以後この病院に世話になることはなかった。

数分後、若い者が私を呼んだ。狭い診察室に入って、症状を伝えた。上半身裸になり、ベッドに仰向けに寝て、聴診器での診察を受けた。異常はないようだ。血圧が140だったが、通常は110くらいだと言っておいた。体温は36.3℃、全くのノルマル。今度は、座って、目の前に、人差し指を出され、この動きを目だけで追ってください、と言われながら、直ぐに左右上下に追った。真ん中に来て、二本に見えないかと言われたので、一本だと言った。その後、ちょっと、足をハの字に開いて、目を閉じて立って下さいと言う。言われたとおりにした。ぐらっと動くかどうか、確認したと思うが、動かなかったと思う。
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それで、診察は終わり、大したことはないと判断されたと思う。頭痛改善、目眩改善、吐き気改善、それに、ビタミン剤、四種を処方された。まだ、頭がクラクラしていたし、寒気もしていた、熱もないのに、やはり、私にとっては、異常が解消されていなかった。

三階のキャッシャーヘ処方箋と診察終了票を持って行き、先ず、診察料を30万Rp払った、次にすぐ横の薬局で薬代を40万Rp払った。薬は五日分、一日二回の薬でした。しかし、医者には、明日は仕事をしないで、安静にしていてください、一日二日飲んで、改善されなかったら、必ず、また来てくださいと言われていた。

そして、今、どうか、三回飲んだが、大分、症状は改善されたようだ。食事は通常通りにお腹一杯食べても吐き気はしない。
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ファーマーズマートの横の通り、ATMがあるので、ここを良く歩く。


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(^_-)-☆動いた [病]

 2102 マクベスのように森が動いた。今朝から移動開始、今日は、電気関係の工事、明日から生産できるように終わらせたという。これで、客先に迷惑を掛ける心配が全くなくなった。分けのわからないことを言ったり、やらせたり、やらせなかったりする、そういう場所から、やっと、抜け出した。多くのものを犠牲にしたが、客先に迷惑を掛けないようにするには、自分の犠牲は止む負えない。とにかく、ほっとした。

この移転に当たって、いたか社はの本来の仕事は,電気や機械のメンテナンス、当然、製造工場の引っ越しの時には、見積もりを依頼される、引越しの手伝いを頼まれる。これも、本業の一つだ、得意な仕事だ。しかし、今回の引っ越しは、そんな会社から出るのだが、この会社に頼まなかった。見積もりの依頼をしたところ、想定より1,5倍の見積もりが出たからだ。外部の会社に三社にも、見積もり依頼をし、一番安い会社に頼んだが、お膝元の一番慣れていて、様子を熟知しているこの会社が一番、それも、飛びぬけて高かった。ネゴをすり気にもなれない価格だった。

外部の業者に頼むということで、社内の装置や道具をつかったり、手伝いをしてはならないという、指令が出たという。もっとも、この会社の従業員、自主的に手伝おうな℃と思う人はいない。この会社が、当然、持っている、トラックもフォークリフトも使わないで、外部の業者が手配した物を使った。私達がいた会社は、こんな会社でした。とにかく、いろいろな意味で酷い会社だった。私の大失敗でした。

 とにかく、押出成型の装置は全部、移転した。めでたし、めでたし、だ。これで、興奮して、つじつまの合わないことを言いだす人の相手をしなくて済む。後はこちらから、後始末を頼むだけである。

https://www.google.co.jp/maps/@34.9478962,138.3492912,3a,75y,102.43h,91.85t/data=!3m4!1e1!3m2!1sljH4pFPdpzUFP5sKuLriyA!2e0?hl=ja
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鞠子川沿いに散歩をして駿府匠宿で模様している丸子カフェという所へ行ってきた。
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くまさん牧場というアイスクリーム屋で休憩、かなり、人気があって、有名らしい。


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(^_-)-☆びっくり症状 [病]

 2081 それは、突然だった。かなりの不安を感じた。とにかく、一人きりの今の状態から出ようと思った。4時半。アラームで起き、PCにしばらく向かい、髭を剃り、小便を、着替えをし、ゴルフへ行く準備をし、5時20分になって、ゴミを外に出しながら、出発だ。その時、急に目眩がして、しばらく、じっとしていせざるをえなかった。多分、1分くらいだったと思う。何とか、前に進めるようになったので、ゴルフ場に向かうことにした。車の運転中、何度も目眩に襲われた。確実に、今まで、経験したことが無い、状況だった。異常だった。ゴルフ場に向かいながら、このままの状態なら、途中にある。行きつけの病院ハラパンクルアルガに、とびこんでしまおうか、その前を通過して、ゴルフに向かうか、迷っていた。結局、ゴルフ場に向かえば、友人がいるので、何か。万が一の時には助けてもらえるという気もあって、ゴルフ場についてしまった。バッグを預け、駐車場に車を止めて、しばらく、座席を後ろに倒して、安静にしていた。車から降りようと頭を上げた瞬間、また、今までよりきつい目眩に見舞われた。歩くのが困難になった。

こりゃ、逆に、このままでは、多くの人に迷惑をかけそうだと思い、そのまま、ハラパン クルアルガに向かった。エマージェンシの入り口から入り、症状を話し、その時は、気絶に近い状態だったのではないかと思う。そこの人が体温と血圧を直ぐにチェック、両方ともノーマルだった。当番医がやってきて、症状を聞く、ダラム クパラニヤ プタール。 ティダビサ ブルディリ。ティダ サキット サマスカリ ディマナ プン。ダリ 30ミニットゥ ラルー ティバティバ ジャディ スギニ。などと説明した。医者いわく、それだけ、説明できれ、大丈夫だよ、重大な欠陥があるという心配はないでしょう、でした。

注射をお尻にします、目眩を治す薬を出します。それを呑んでしばらくここで休んで、少しでも良くなったら、ここから出られますよ、という。その通りに、ふらふらするのに、一旦、歩いて。会計を済まし、薬を買って、救急ベッドに戻って、眠った。1時間ほどして、そこに、いた人に起こされ、買った薬を飲まされた。そして、病院から出た。7時半だった。皆さん、もう、6番ホールくらいまで行っているなと思いながら、家に向かった。 そして、すぐに横になり眠った。目が覚めたのが、12;30、目眩は治っていた。ホッとしたが、取りあえず、買った薬を昼食の後,呑んだ。
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そのまま家で休養とはいかない。本当はゴルフの後、寄るつもりだった。移転する予定の工場をチェックしに行ってきた。ジャバベカ2、カワン ラマ(kawan Lama)の直ぐ近く、歩いて、買い物に行ける場所。あるワーヤーハーネス製造工場の跡工場。使っていたといだけあって、直ぐに使えるほど、色々なものがあって、素晴らしいと思う。総二階で建物だけで700平方メートル(二階を入れれば1400平方メートル)は在りそうだ。家賃は200ジュタ。相場より、安いと思う。100平方メートルで240万円、400平方メートルで160万円などと、相場を無視してて、ふっかけてくる所に比べれば、非常に常識的な価格だ。
始める人に、これなら、十分ですと、つたえた。これなら、整備をどんどん増やせる。先行投資ができれば、仕事も、どんどん増やせる。

あるわけがない、とか、絶対にできませんなどと言い張る方々、どこのどなたかに聞かせてあげたい、こんな価格でも、工業団地の中に、使い勝手がよさそうの工場があると、そして、私は、ここで、アドバイザーのビザで仕事をする。できる。その時に、私はアクションをする。それまで、待つ。


タグ:行動 反撃 期待
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(^_-)-☆何もしていない [病]

 1961 何もしていないということは、とんでもない事をしているということです。全く、別の話ですが、そして、とんでもないという事と言えば、過去に私はとんでもない事をされたことがある。

同じ会社の違う部門の日本人から、私の部門で作って、検査を済ませ、梱包もし、出荷ストックエリアに置いていた製品の中に不良品の混ぜられたのです。ほとんど、同時期に、二種類の製品で良品を抜き取って、不良品をいれられたのです。日本の客先から、インドネシアから出荷後三カ月くらいして、クレームが入った。ナイロンのコの字形の製品でした。一つは、折り曲げられた製品が50本の内5本混じっていた。もう一つは、閉じているのが普通だが、開いてしまっていた。一つ目は、人間が二つ折りに曲げてしまわなければできない状態だ。実は、検査でNGと判定された製品は、NG品を入れる箱に、間違えて使わないように二つ折りにして入れるという、作業標準になっているので、検査員が折っておいた製品から拾い上げて混ぜたのです。そして、半円に曲げた製品でも、一日ほどそのままにしておけば、真っ直ぐに戻るのです。ポきっとおらない限り、曲がった状態に保つことはできないのです。

二つ目は、開いているばかりでなく、やはり、折れていた。そして、それは、スタート時や終了時に出来る、断面寸法が小さい品物だった。製品が小さい時には、開いた状態になるが、寸法が大きくなって、OKになれば、自然に足が閉じる。この製品、40年以上作っているが、大きいまま開くことは、在り得ない。日本で私が始めて作って以来、40年以上、勿論、こんなクレームに有ったことはないし。その他の要因でもNG品を出荷したことはなかった。そして、その製品以外の多くの製品、その他のお客さんでも、クレームが発生する事はほとんどなかった。インドネシアでも皆無だった、それどころか、品質、納期共に、毎年表彰されていた。

いずれの製品にも製造年月日と製造者、そして、検査員の名前もわかるようになっている。彼が、不良品を作ったり、見逃したりすることは考えられない。それも、ほとんど同時期に別の人間がです。

もっとも、その表彰式に私が出席したことがない。ご本人、晴れ舞台と思ったのでしょう、担当以外の日本人が行っていた。そして、そういう表彰状や盾などは、来客に見えるように置くのが一般的だと思うが、私は見たことがない、どこかに仕舞ってしまっているのです。

そして、そのクレーム事件は、その日本人が私に対し、PHしている最中の出来事だった。両方とも、誰かが、わざと、まぎれ込まさなければ、できない現象だ。無意識にはできない。と、説明して、まったく、押出の知識がない人は、聞く耳を持たないどころか、現に混じっていたじゃないかと、どなるように言うだけ、そうでしょう、ご本人が混ぜたとは言えない。40年間、何十万メーター,何百万メーター作ってきたが、業と作ろうとしても、私にも誰にも作れなかった品物が混じっていた。また、1mの製品を二つ折りにしたものが、混じるなどということは、全くあり得ない話だ。混ぜるなら、もっと、ありそうなものを混ぜたらいいと思うが、知識がないから仕方がない。

こわいですね。これが、サラリーマンの現状でしょうか。気の毒にも思ったが、なにやかやで、パニック障害になってしまった、原因の一つだったと思う。

その人たち、私がいなくなったあと、コストダウンと原料に購入簡素化のために射出で使っている原料で製品を作れと、元、私の部下たちに命令した。出来る筈がない、技術がないと怒ったそうだ。無知は罪だ。

また、もと。私の部下が見積もりの計算をして出した価格120円を見積書に12円として、客先に出してしまった。納入先は、スラバヤの南、パスルアンの工業団地だ、運賃の価格だ。製品は只である。会社を撤退するとき、引き受け会社に売値を通知した時に、指摘された。それまで、どんな製品かも、知らなかったという。それを、部下たちの責任にしたという。そして、価格の間違いは、それだけではなかったという。本人は知っていると思っている無知は大罪です。
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28,29日のパンガンダラン西海岸朝の風景。
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帰路の山の中の風景、茶畑が見渡す限りの場所があった。


タグ:ギラ ベゴ
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(^_-)-☆疲労困憊  [病]

1960 時に出発して、同行の友人のためと思い、来た道をそのまま帰るのではなく、南回り(インド洋海岸沿い)の道で帰ることにいた。これが、疲労の原因になった。道が大いに壊れていてそれだけでも時間がかかったし、右往左往道を選ばなければならなかったし、凸凹の連続は体へのダメージが大きい。
そして、北上する道を選ぶのを間違えた。山の中の細い、くねくね道を選んでしまった。北上を始め、最初の何キロかは、道が広く、舗装も完璧だったが、途中から舗装も無くなり、道幅も狭くなり、急な登り道になり、右往左往も激しくなった。すれ違うバスもほとんどなくなり、見るのはポンコツミニバスだけになってしまった。それでも、引き返すわけには行かず、ひたすら北上した。その道だけで3時間以上かかってしまった。やっと、なんとか最後の峠にかかった時には、出発してから、6時間かかってしまっていた。いつもの帰り道なら、すでにチプラランの高速道路に乗っている。
流石に運転を続けることができず、茶屋で休憩をした。カップめんを食べながら、30分ほど休み再出発、ガルットに入って、チパナスの入り口を横目に見ながら通過し、そこからは順調に、といても4時間くらいかかって、チカランまで、友人をおろして家に着いたのが18時を回っていた。実に10時間、平均7時間のはずが3時間もプラスそれも、渋滞ではなく、凸凹と曲がりくねりと遠回りが原因、全身が疲労困憊、20時には、どうにもならなくなって眠ってしまった。
選んだ道は北上する道が3個所あるがそのうちの最悪だったようだ。今まで,ここを通ったことがなかったが、どこも同じだろうと思ったからだ。パンガンダランから海岸沿いに西へ進み、北に向かう道の一番目はタスクに向かう、3か所目はガルットに向かう、その中間の今日選んだ道もガルットに入った。そして、この道に入る前にどけ行くという看板が無かった。とにかく、どの道でも北上すれば、道も良くて順調に来た道の途中と出会うと思っていたのが間違いだった。
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http://otaenplaext.net/newpage34.html
以前にも通過した南の海岸道路、広大なゴムのプランテーションの真っただ中を通過する、行けども行けどもゴム園である。面積から考えて、働いえる人は少ない、その一人の話しができた、普通、一日300本の木からそれぞコップ半分くらいに樹液を集めて回るのだそうだ。ここに何本あるかと聞いたら、そんなこと、知らないよ,といわれてしまった。粘り気はほとんどない、この液体にアンモニアを混ぜて硬い塊にして出荷する、どこへ持ってゆくかは知らない。友人は全くの初めて、興味深そうにしばらく、眺めていた。

この木だけ、ヤシの実を受け皿につかっていた。
まあ、とにかく衝かれた。変わったことをすればリスクがある、実感した。
 
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(^_-)-☆風邪を引いた [病]

 1943 重要な来客予定があったので、出勤をしたが、昨日の夕方から熱っぽくなって、鼻の奥の方が乾きだした。100%風邪に掛った症状のはじまりです。今日から、速ければ、四日後、長くて一週間、治るまで掛かる。いくつかの過程を通るが。その、一つ一つが、何時間で通過するかによって、早く治ったり,長引いたりする。さあ今回はどうなるでしょうか、現れる症状が抜けることはないし、最後まで行かないで途中で治ってしまうこともない。今は鼻の奥の乾きが和らいで、鼻水が出るようになっている。熱は症状の経過と関係なく、高い状態が続くが、喉の痛みが消えること熱も下がる。そして、もう直ぐ、風邪のことは、忘れてしまう最後の症状は、痰が切れ始め、鼻くそが緑色に固まってくる。こうなれば、半日後、長くても一日で、淡も鼻くそも無くなる。

これは、決まっている。医者にかかって、薬を飲みはじめても、風邪薬を買って飲んでも、その効果を確認できない、薬を飲まなくても、一定期間で治るのですから、治るのが早まったかどうか、症状が軽くて済んだのか、薬を飲まなかったときと,比較ができないからです。だから、私は、引き始めが同じ症状の風のときには医者に行かないし、薬も飲まない。多分15日、ワイサック(仏教関係のナショナルホリデー)にゴルフで汗をかけば、17日のゴルフのときには、治ってしまっていると思う。

中学の時、このことは、分かっていたので、風邪を引いても学校を休むことはなかった。クシャンクシャン咳をしながら、授業を受けているのだから、外の人にとっては、迷惑だったかもしれないし、何より、移されることを心配したと思う。流行のとき、50数人中、10人が風邪で休めば,学級閉鎖になるということが決まっていて、9人休んでいるのに私が休まないので、学級閉鎖を邪魔したと友人達に言われもした。

風邪と花粉症の症状は全く違う。当時は、私は二種類の風邪を引くと思っていた。

私にとっては、当時、花粉症などという病気がなかったころ、(当時は、毎年、寒さが和らいだころ、必ずひどい風邪を引くと、思っていたし、親も、お前は、どうして、毎年、風邪を引くんだ、鍛え方が足りないじゃないのか、といわれ、乾布摩擦などをやらされていたし、冬中、何ズボンで過ごされた)私は自慢じゃないが、半端な花粉症ではなかった。インドネシアに逃げるまで、ひどい花粉症は治らなかった。家でも学校でも、昔、便所紙といわれた、鼠色のちり紙を、束にして、持ち歩き、いつでも、どこでも、チンチンかんでいた、鼻水もずるずる、学期末テストのときには、半分くらいの時間でテストを終わらせ、答案用紙を先生に出して、そのまま外にでた。テストが終わるベルが鳴って教室に戻った。あるとき、外にいる私を校長が見たのでしょう。テストは終わったのか、と、聞かれた。ひどい風邪を引いてしまっているので、みなさんに迷惑を掛けるので、終わるまで待っている、と、説明し、納得してもらった。お前なら、いいか、という感じだった。しばらく、校長が私に付き合ってくれた。
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早朝、通りがかりのくだもの屋、マンガ、ドゥク、ドリアン、ピサン、パパヤ、ジュルックなどが見える。スーパーで買うより20%ほど安い、高いドリアンは一個200円以上安い、バナナなら6~7本買える。
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Cuci gudangチュチ グダン、倉庫を洗う、です。意味は在庫一掃です。これは、家具類の在庫一掃セールですね。
どうでもいいけど、今日のブログ番号、私の生れた年です。
  
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(^_-)-☆現実に戻る [病]

 1907 インドネシアにいる。例によって6:20に家を出る。6:45こだまで東京まで、8:00くらいに東京着、成田エックスプレス8:30 9:30ころ成田空港到着、11:30搭乗、ジャカルタ時間18:00スカルノハッタ、着陸、バゲジの受け取りに時間が掛かり過ぎる、19:00空港から出る、20:30会社に到着、自分の車に乗りかえ、21:15(日本時間23:15)家に入った。

バゲジに重さが32.5kgあった。ガルーダシルバーは30kgまで、2.5kgオーバー、2.5kg取り出してほしいという。液体が多いので、納豆、バター、マーガリンなどを取り出すしかないと言ったら、ペースト状の物はX線チェックで、持ち込めないから、他の物で減らしてほしいという。重いものは出汁や酒類だから、もっとだめでしょう、2.5Kgくらいは何とかしてほしい、と、頼み込んだ。そして、そのままでOKということになった。実は、工具など仕事で使う小物が入っていたので、その気になれば、それほど大きくないもので2.5Kgは減らすことができた。

また、ジャカルタのカスタムで、今回は珍しく、キョークのチェックが書かれていなかった。しかし、数え切れないほどの過去のチョーの跡が、薄くはなっているが見える。係官が、X線チェックに通してしまった。そして、本当に珍しく、開けてほしいと言われた。心当たりは米麹1kg×5真空パックのことでした。案の定、これは、何かと聞かれた。今まで、見たことがない状態で見えたのでしょう。見てみれば明かに米だ。だから、正直に、米(ナシ)だよ、これは、インスタント食品の一つで、お湯を加えれば3分でおいしいご飯になる、と、説明した。ご本人すぐにうなずいてくれた。銅鑼焼きが入っていたので、子供さんにと、三つ渡しておいた。説明がしどろもどろだったり、酒を作る素だと知っていれば、多分、取り上げられたと思う。米麹を持ち込むことは、大丈夫とは言いません。

今回、初めて気になったことではないが、どの航空会社も同じでしょうか、気流の状態が悪くて、機体が揺れることを予想されるときに、シートベルトの餌が点灯され、揺れが予想されるので、席についてシートベルトを締めてください、そして、トイレの使用しないでください、という、アナウンスがある。問題は、その状態が解除になったときの話、ベルトのサインが消えれば、トイレに行っても良いと思うが、その、アナウンスがない。行きたくても、我慢してほしいというのだから、我慢をいなくて良くなれば、そのことを、アナウンスをいなければならない、と、思うのだが、そう思うのは私だけでしょうか。
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成田エクスプレス東京駅、8:15頃、誰もいなくなった。

ジャカルタ、タマン アングレックの電飾、たまたま、通り掛かった時に、日本ネーカーのお茶ボトルの宣伝をいていた。富士山が映し出されている。
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そして、明日から、短くても一週間、気が抜けない日々になる。
 

タグ:復帰 現実 試練
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(^_-)-☆警鐘すごい人 [病]

 1818 警鐘を鳴らす意味で、時々、この種の話を書いている。特に、現地の会社のトップの方は、日本人スタッフの行動について、警報や注意事項として、周知徹底することをお勧めします。ご自分にも、です。

凄いにはいろいろの凄さがあるものです。今日の凄さは、かなり、酷い凄さです。1万人以上の日本人が居るもですから、その行状は千差万別、ピンからキリです。知る限りで、飛び抜けて一番は、女子大生を殺してしまったあの人です。もう、10年くらい過ぎるでしょうか。今でも、知る人からこの時の話やその人の行状に着いて話題になります。当時は、今、私が住んでいるタマンセントサにインドネシア人妻と住んでいた。その女性を会社でも秘書として使っていた。その他にも、盛りだくさんの精力的な行動の話があった。そして、最後にはカラオケで知り合った女子大生を殺して、タンゲランに家を借りその庭に埋めてしまって、その近くのゴルフ場でプレー中に逮捕されたという、この件は、かなり有名な話で、もっと詳しい話が、語り継がれている。
昨年10月末で、ある会社から去った人がいる。15年ほど前から会社の経営を任せられていた人でしたが、ようやくというか、やっとというか、交代の辞令があった。よくも、まあ、本社というか、日本の支援担当者が、放置しておいたものだと、はたから見ていて、感心するくらいに、現場を知らないというか、疑問に思わないというか、無関心だというか、それとも知っていて、何かを受け取って、見て見ない振りをしていたのか、とにかく、インドネシアでの評判は、凄いの一言だったのに、である。
その一部である女性関係と家庭関係の中のこれまた一部を紹介しておく、ただし、同じような人は沢山いるので特にこの人だけという分けではないが、その期間は、創業から親会社が変わって、ポジションが変わるまでだから12年くらい続いたと思う。知る限りではこの人が最長だと思う。この人も初期にはタマンセントサの住民だった。
その時から、何かと噂があったが、赴任して二年目にインドネシアの女性と結婚した。男の子供を二人もうけた。その間にもその後も、女性遊びは留まるところを知らなかった。ついに、ある女性と結婚してしまった。その女性には結婚していることを話さなかったし、奥さんにも話さず、了解も受けていなかった。奥さんは離婚訴訟を起こした。一夫多妻制(ポリガミ)が認められているとは云え、それは、既に結婚している女性が認めなければならない、了解をえなければならない。黙って、ほかの女性と結婚してしまえば、当然、訴訟を起こし、慰謝料や養育費を求められる事は明らか、奥さんにしてみれば、絶好の機会を貰ったと思うし、その、一族も大喜びする。
慰謝料と裁判官や弁護士に、大金を払うことになり、何かと金銭的に操作をせざるを得なくなった。方法は幾らでもある。何とか、支払いは養育費を支払い続けることで決着したが、勿論、子供に会う権利も、わずかな機会しか得られなかった。

二年前の以前の話だが、二番目の奥さんとその弟二人は、会社の従業員として、給料を払っていたが、二人は家と個人のボディーガード、セキュリティとして、出社することはなかった、奥さんは秘書ということだったが、不定期に、偶に会社に顔を見せる程度で、車も与えられていた。止めさせられる直前はどうなっていなとかは知らない。

以前にも時々書いているが、そう多くはないが、目立つし、話題になりやすいので、こういう人は、いつになってもいるものです。どうにもならなくなって、会社を利用する人、サプライアーを利用する人、友人や関係者にたかる人、返済する事はあり得ない、100%、どこかに、誰かに迷惑を掛ける。それでも、おさまりがつかなくて高利貸しを紹介されてどんどん深みにはまりこまされる人。本社に知られて、始末をする担当者が日本から主張できて、何がしかの金額を払い、さる筋の人の世話になって、何とか、収めるなどという話は良く聞く。さる筋の人は、どこにでもいるものです。
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 ブレーツェルを食べている二人。
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 この人形は何だと思いますか。富士山が世界文化遺産に登録されたことを記念して売り出された沢山のグッズの中の一つ。音を直ちに繰り返す。しゃべったことをそのまましゃべる富士山人形です。インドネシアへ持ってきて、話しかけている。
 

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(^_-)-☆気の毒な人達 [病]

 1638 夕方のカキリマ村はどこもかしこも大にぎわい、今まではなかったカキリマも増えている。早朝の道端パサールの道も渋滞を生んでいる。なにが、プアサだ。昼間は、ふらふらと適当にすごし、夕方から朝まで飲み食いをする。全部の人ではないが、そういう人が多いことは確か。毎年、この状態は酷くなる。

ロトって何?そんなに儲かるなら自分でやれよ、迷惑メールを送り続けて他人に儲け話を紹介するやつは、そのものでは自分は儲からないと分かっているやつでしょ、全く、頭を使うならもっとまともなことに使ったら如何でしょうか。

迷惑メールに登録したはずでも、しつこく、受信欄に残るメールがある。何かそういう方法があるのでしょうが、一種の愉快犯なのでしょうか、意味のないことをし続ける神経が分からない。そういう人たちも日本を駄目にしている厭な奴ですね。

それから、コメント欄にイミテーションを売るための宣伝を投稿する人達、本物を売るなら、ライセンスがあるでしょ。決まった場所で売れば、それなりに売れるはず、偽物だから、闇の販売をするのでしょ。本物であるはずが無い。馬っ鹿みたいな人達が多いですね。そういう大の大人が、巷を普通の顔をして歩いているのでしょうね。

 駄目な奴と言えば、会社などでパワハラやセクハラを平気でする人、それが、一種の快感だったり、ストレス解消だったりする人、家庭ではドメスティック、バイオレンス、厭ですねこんな人たち。

 あなたは、この文章に該当する人ではないでしょうね。
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 火曜日、空港からの帰り、豪雨で、前が見えない。それでも、タマンアッグレックの電飾は、派手に動いていた。
  

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