(^_-)-☆TPS7年間 1 [押出成形]

 3258 TPS(東洋プラスチック精工)窯業の業界に就職したかったが、どこも、採用ゼロだったので、赤尾先生の紹介で、一応、静岡に近いこと、設立間もない、日本では先駆的な技術を提携で受け入れている会社ということで、就職を決めた。私がOKなら、先方は、望んでいた。とにかく、国立大工学部新卒は私が初めてだったから、歓迎されたと思う。夏休み8月に、ぜひ、見にてほしいという話があり、出かけたのが、北海道大学で、卓球の国公立大会に出場して、直接、札幌から、蒸気機関車で東京まで戻って、新幹線で三島という、旅の後だった。当時の社長さんが、待っていて、面談となった。覚えている話は、聞かれたので、私の卒論の話、品質管理の手法で品質テストと一種で、破壊強度テストの一種で、昇降法、(アップダウンメソッドゥ)と名付けた方法の確立についてだった。日科技連関連の赤尾先生の元だった。すると、社長さん、“そうか、TQCか、新興宗教の一種だな“と、言っていた。そして、入社まで、数カ月の間、プラスチックの現状に関して、私から頼んだのだが、どんな文献を読んで置いたらいいのかということで、紹介してもらい、一応、プラスチックについて勉強して入社した。
http://www.toplaseiko.com/corporate/corp_001.html
現在の会社概要ですね。
関わってみると、プラスチックの成型には、プラスチックの知識より、機械、電気のこと、材料力学というか、物理学的な知識が必要だということが、分かった。私が入る二年前に、ドイツからの技術導入の装置を扱うことになったが、先に入って、現場三交代で製造している人達、三島の東レからの出向者、東北からの中卒者だった。年齢は私より二三歳上だった。その人たちが、製品を作っていたが、最初、どういう人が、ドイツへ行って、その装置を選んで、持ってきて、実際に製造したと思うのだが、そして、その人が、装置の使い方を指導したのだろうと思うが、それに、当たる上司?が見当たらなかった。それらしき人は、東レの名古屋のプラスチック研究所というとことにいて、時々、見かけてはいた。東大工学部出身だ。然し、その人が、実際、溶けたプラスチックを摘まんで、やってみる風景には、出会わなかった。私が入社してから二年ほど、毎月10日ほど、来ていたが、何しに来ていたのだろうか、何も指導やアドバイスは受けなかった。実はその人が、この本がいいと、読んでおく本を紹介してくれた人でした。その人の紹介本は、全く、現場で役に立たなかった。

何とかしなければならない、いろいろな部門がある中で、押出が、一番ひどかった。ボビンスリーブという名前に製品、とにかく、糸を巻きとる機械の巻き取る部分の辛抱に、そのパイプを差し込んで置いて、巻き上がったら、それを外し、また、パイプを差し込む、といった。糸をまいておくものだ。インサイドマンドレルという金型を使う、ABSの薄肉パイプ、東洋レーヨンのどこかで使うので、大量に必要だった。

この製品、とにかく、散々な、不良率、それでも、いい加減な状態で出荷するしかなく、当然、全品不良で返品、急いで、次の納品をすると、帰りのトラックは、不良品を持ち帰る。惨憺たる状態だった。

そこで、私は、押出部門の三交代、それも、チーフを、時の製造部長、三上氏に頼み込んで、了解された。チーフの一人が、何やら、休みがちだったし、その部長さん、手を焼いていた部門だったから、すんなり認められ、入社三か月後に、押出の三交代班長として配属された。中卒の先輩の方々に、押してもらうことから始まった。180度以上の樹脂を摘まむことから始まった。
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東名の西から薩埵峠の下のトンネルを過ぎて由比海岸に降りようとするところと、帰り、由比海岸のバイパスを西に向かっているところです。
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