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(^_-)-☆師走の風景 [子供たち]

 1439 インドネシアの来年のカレンダーを渡すのが目的で、ヤント君に会ってきた。いよいよ、彼は、来年三月、静岡大学の大学院を卒業、日本語学校2年、大学4年、中国留学1年、大学院2年、合計9年間、一応、保証人をしたことになる。資金援助は約5年間でしょうか、その他は奨学金とアルバイトで自立できていた。3月21日卒業式、出席を頼まれたが、できるだけ、としか答えなかった。3月24日結婚式、これはジャカルタで、これに出席は約束した。
IMG_1425.JPGIMG_1426.JPG孫にせがまれて、静岡市街の中心地へ。ヤント君と会うときには彼女たちも一緒だった。食事は静岡で一つしかないインドネシアンレストラン、“東京ナシゴレン“静岡駅ビル、パルシェにある。ブリタール出身の国債ことば学院に通っているインドネシア人がウェーターをしていた、ヤント君は、インドネシア人留学生のボス的存在なので、もちろん彼とも親しい。何日振りかでインドネシア語で話をした。心地いい。

私は、ソ ブントゥットゥを頼んだ。肉は骨から剥がし取った状態で出てきた。ナシは日本の短粒米、“違うじゃないか“と、うぶやいたら、”わかっているじゃないか“と、にやりと笑った。ジュースはアボガドが無いというので、グアバを飲んだ。ちょっぴりインドネシアに戻った感じ、孫たちはナシゴレン シーフードを半盛りにしてもらって、”唐辛子抜き、辛くないように”頼んだ、孫いわく、“少し辛かったよ“と、私が、インドネシアでよく言うことを言っていた。そうです、辛子を使わなくても、若干辛いのです。鍋に付着している油が辛いのです。ということですが、キュウリや酸っぱい人参の添え物まで、全部きれいに平らげた、大満足だったようだ、”インドネシアへ連れていって、おじいちゃん“
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町はクリスマスムードまっ盛り、路上パフーマンス、路上ミニコンサート、どこかの放送局の素人パフーマンス大会などなど、次々と催しに当たる。デンマークのマーメード(人魚像)の像ではないが、世界何大ガッカリ所の一つではないかと思われるアイススケートもどき場、市役所の裏の催し物広場に臨時セッティングされたプラスチック板制である。狭ま過ぎてどうにもならない上に、長い行列で二時間待ち、ブカシのショッピングモールにあるスケート場のほうが数倍広い、それでも、静岡人は行列している。
賑わいを共有していると、大地震が30年以内に90%の確率で襲うと予言されている場所とは思えない、対策を考えている人がいるとは思えない。それでいいのだ!!!
  

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(^_-)-☆アシスト [子供たち]

 1424 私がいなくなるぎりぎりまで、試作を続けて、二種類の製品を完成させた。ジャバベカのS社とEJIPのT社である。両方とも、客先には二カ月の納期を貰っていたが、私の都合で、一月半で仕上げた。いずれも何社かでトライをしたが出来なかった物です。一応、ほっとした。私がいない時のことはHENI君に任せる旨、関係者に伝えた。修正が必要なら出来るし、原料や資材の手配も彼が一手に引き受ける。その他に二種類のPSエラストマーのプルファイルの見積もりをMM2100のM社に提出してある。金型手配のPOが入れば、その手配も出来る。一カ月のご無沙汰です。
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完成した試作品、色に着いても変色はしない。

EJIP東芝の新しい洗濯機の設計にあたった若者の一人、H君と食事をした。私のサポーターである。10年ほど前から、私を手伝っている。K社時代に私の直接の部下では無かったが、図面書きは彼に頼んでいた。彼はK社を止めてその後、二社で勤務し、今は、設計者が大勢必要になった東芝に引き抜かれたかたちで、勤務をしている。私が何社かを移動している間も、必要なら彼と外で会った図面書きを頼んでいた。N社の日本本社に勤務中、新製品を作る時には彼に図面を書いてもらっていた。今回もある新規製品の金型の構想が纏まったので、彼を呼び出して、その装置の図面を依頼した。彼に取ってはサイドビジネスです。持ちつ持たれつの関係が続いている。彼に考えてもらう事も多い。
設計図面書きばかりではなく、色々な専門職を見に付けている人は、給料の高い会社があればいつでも移ろうとする傾向がある。今頃、多くの外国企業がインドネシアに進出しようとしているし、インドネシア国内向けの新商品を売り出そうとしている。その物を作るのは進出してきた会社の外国人だが、その補佐をするスタッフが必要だ、今やそういう人達は最近の最低賃金の40%アップなどという事は全く別の世界で、移動する度にそのくらいのアップにはなっているので、どんどん、移動する。
お互いに同じ会社に落ち着いていないが、渡り歩いている会社にいる図面書きよりもずっと押出に関する図面書きを手伝ってくれている彼を貴重な存在として付き合っている。
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昨日のバナナを買った、通りがかりの)果物専門店。目立った店です。
 

タグ:応援 相互 専門
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(^_-)-☆ブカ ブルサマ [子供たち]

 1306 レスリング男子で金メダル、全部で7個のなりましたね、開催前に、あまり、話題に登らなかった競技や選手がメダルを着々と取って、いつの間にやら、数では最大になったようですね。以前、私が、書いたことが的中しましたね、マスコミも組織委員会も、特定の目立つ人や競技を中心にメダルの予想や目標を立てるのは意味が無いと。体操も柔道も世界は実力が均衡していて、その時、その日のコンディションで勝敗が左右される種目なのに多くのメダルを予想していた。あまりにも、予想に、ひいき目が入り過ぎていた。フェンシングもいい例だった。太田選手が個人でメダルを取る予想だったが、残念な結果になった、しかし、予想だにしていなかった団体で取った。女子バレーもそうだ、ボクシングは誰が話題にしましたか。マラソンは男女とも全く力不足が分かっているのに、話題が多かった。
マスコミも組織委員会も反省し謝罪すべきものだと思う。

今、盛んにブカ プアサの食事会が模様されている。早い人はそろそろ帰省し始めているし、多くの会社は16日から休みになって、独立記念日の17日からは、全面的に休みになる。その前に、駆け込み的にブカ ブルサマが行われている。組織の上司が自宅へ呼んだり、最寄りのレストランに集まってもらったりして、その日のブカ プアサをネタに食事をする。日系の会社の多くでも、部門毎にやる場合が多い。イスラム教徒ではない日本人にも声がかかる。一種の親睦会のようなものなので、一度は、日本人も出かけて行って、雰囲気を確認した方がいいと思う。ただし、日本人を呼ぶ目的は純粋に一緒に食事をしながら親睦をはかると言う目的だけではなく、スポンサーになってもらえるからです。私は、それを承知で、できるだけ多くのブカ ブルサマに出席した。
だから、今は私の部下ではないが、どこの会社のどの部門と言うことではなく、私のインドネシア人の教え子たちが、集まっているから来ないか、という誘いがあって、コタ チヒトゥンまで行ってきた。20人ほど集まっていた。何年振りかに会った人も来てくれていた。皆さんの平均年齢は35を超えている。
特定の会社の特定部門の人からも誘うがあるが、これらは、全部断っている。私はその会社の人間ではないし、私の部下でもない。日本人は出席するのかと聞くと、しないという。それでは、まずいでしょう。彼らの愚痴を聞く会になってしまう恐れがある。私が一緒だったということを、日本人が知ったら、気分が悪いでしょう。本当は、その日本人が出席すればいいのですが。
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日曜日の朝のゴミの様子、マラーム ミングー(土曜日の夜)とブカ プアサが重なって遅くまで飲み食いの後。
http://otaenplaext.net/newpage0.html
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一カ月ぶりのゴルフを二日続けて、体の節々が痛む、しかし、心地よい。
  

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有名人ヤント君 [子供たち]

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ヤント君の卒業式のはずです。日本語学校2年、大学4年の6年間、身元保証人になり、学費や生活費の援助を続けてきた。今日の卒業式に帰ってきて出席してほしいと言っていたが、会社の立ち上げの時で、インドネシアから離れることができず。大変残念だが仕方が無い。静岡県立大の大学院にあと2年通うことになっているので、その、卒業式にはぜひ、傍に居てやりたいと思う。
彼の日本での活躍ぶりは、予想以上で、多くの日本人の中へ入って、インドネシアに関する色々な催し物の手伝いを中心になってやっているし、外国人学生のための相談施設にも県から頼まれて職員として採用されているし、インドネシアの民間大使にも県から任命されている。多くの日本人に知られているインドネシア人の代表者である。バックアップしている私としては鼻が高いが、日本人の誰もが、私のことは知らない。保証人は誰なのか、今どこにいて何をしているのか、彼に聞く人は誰もいない。彼と接触や相談や手伝いを頼む人にとって、そんなことを知る必要はない。
彼は先日里帰りをして、パダンへ慰問し、静岡で募金したお金を届けた。アチェ、ニアス、ジョクジャ近くのバントゥール等の地震や津波の大被害の度に静岡駅前その他で募金活動をし、大使館を通して寄付をしている。静岡新聞や朝日毎日読売の地方版やテレビでも報道されていた。静岡で私は無名人ですがヤント君は有名人です。つい最近は、浜松でインドネシア文化紹介の催しがあり、それのインドネシア人側の代表をして、スポンサーをかき集めたり当日は司会進行役を務めたり、バティックファッションショーモデルも務めた。それらの時の写真が彼の友人のフェースブックによって紹介されている。その中から何枚か頂いて、紹介している。背が高くてやさしい顔をしているので、日本女性にも不安が多いようです。
大学の感謝会と浜松のインドネシア文化祭の打ち合わせ風景でしょう。
  http://nanbuindonesia.web.fc2.com/yanto.html

一月から30日間になっていた入国ビザが出入国管理事務所に申請すれば、一回だけ延長し、合計で六十日間の滞在が可能となった。東西約五千キロに及ぶ広大な国土に、一万七千以上の大小の島々を抱えるインドネシアを存分に楽しむチャンスが広がったともいえそうだ。延長の手続きはインドネシア国内各地の出入国管理事務所で受け付ける。必要な書類は(1)申請書(各事務所で配布)(2)旅券及びそのコピー(3)取得済みの到着ビザのコピー(4)帰国用の航空券-で、手数料は二十五ドル。延長は一度のみ可能で、三十日間有効。申請人本人の出頭が必要。延長手続きは五営業日かかり、滞在期限の七日前までの申請が望ましい。

豊富な天然資源 [子供たち]

IMG_2891.JPGIMG_295.JPG昨日とはうって替わって目的地に行くことができた。それも、アンペラ橋のたもとから、ポンポン船をチャーターして、Puleu Kemarao へいった。Musi川の川幅はこのパレンバンの街を通過する場所では500mはありそうで数千トンともわれるフリーや貨物船が行き交っている。石炭、天然ガス、小麦やコメ、その他、ガソリンや灯油、軽油を積んでいる船も往来している。正に大動脈である。100km以上下流のバンカ海峡にそそいでいて、マラッカ海峡に出てジャカルタなど向かう。ジャカルタ発の大型フェリーがぎりぎりの状態でJembatan Ampera(アムペラ橋)の真ん中を通過していた。私は思わず頭を下げてしまった。
 両岸にはプルタミナのガスステーションやプルタミニが水の上に浮いた状態で作られていた。タンクローリー風の給油船も当然行き来している。その状態は、カリマンタンのバリトー川やマカカム川でもみられた。
 大変活気がある資源搬出基地という感じで、嘗て、日本がこの土地を手に入れたかった理由が分かった。化石燃料資源が殆どない日本は南方に向かい、スマトラやボレネオ(カリマンタン北部)を先ず、手に入れたかったのでした。

 30分ほど河口に向かうと目的の中華系のけばけばしい何重かの塔が見えてきた。直径は100mほどでしょうか、川幅の五分の一位でした。昨日の夜まで三日間、この島のお祭りがあって、お賑わいだったそうで、その名残で、ゴミだらけ、それを燃やす煙が行くぐるしくさせてくれた。塔は九重でした。上ることはできず。他にも、日本のお寺や陣所のようにお百度参りのようなものをしている風景も見られた。私も他の場所で、やったことがあるが、めんどくさいし、いちいち、紙を焼くのが嫌で、二度とインドネシアのブッディストの祈り方はしない。今回も、簡単に賽銭を投げて手を合わせただけだった。
 それにしても、ここは裏切り観光地の候補に立候補させたい。
土産物を買って、空港に向かった。otak-otakとpempekをCANDYという店で買った。Otak-otakは空港へ着く前に10本全部食べてしまった。Pempekの味はotak-otakと同じであるが、バナナの葉っぱに包まれていない。インドネシア人はいずれも、大変からいサンバルを着けておいしいおいしいと言って食べる。私は、辛いだけでおいしくも何ともない、何もつけないでそのまま立出た方がおいしい、ワサビ醤油で食べれば、なおおいしいはずである。私の、メールアドレスはotakatsuoとotak-otakを掛けてある。

 装置の移転は終わり、電気などの接続も終わった。明日は、スイッチオンセレモニーが行われる。
 Jembatan Ampera(アムペラ橋)をくぐる大型フェリーその名もJembatan Musi 1 Jakartaと言います。ご存知かた焼きそばIfu Mieです。リバーサイド レストランで食べた。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
援助する会社、始まる会社PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの仮ウェブサイトです。先ほどPT.NANBUで押出の成形が始まりました。佐々木会長を迎えて、押出だけのささやかなスイッチオンを行いました。
 インドネシアの押出成形業界の中心になります。

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パレムバン [子供たち]

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 朝、03:00起き04:00出発、スカルノハッタから07:00離陸、パレンバンには08:00到着、新しい、斬新なデザインのターミナルでまだ、汚れていない。大都市の予感がする。タクシー紹介のシステムも、場所は違うが、ウングラライやスカルノハッタのようにタクシー会社のカウンターで申し込むことになる。空港でホテルを紹介してもらい、そのまま、街の中心にあるホテルへ直行した。30分ほどで、7万5千Rpでした。
そんなことで、今どこにいるかというと、スマトラ島の南東、パレンバンです。先日紹介したバンカ島の西です。戦時中、日本の落下傘部隊が降下した作戦は、当時、大きく戦果を報道されたとか、父親から、聞いたことがありました。早速,博物館(Sultan Mahmud Badaruddin ⅡMuseum)行くと、そこの管理人が、インドネシア人の観光客が入れないように扉を閉めてしまって、管内の明かりも全部点灯し、私を案内してくれた。日本人の兵隊が私の親と一緒に独立戦争を戦ってくれたとかで、“真白き富士の気高さ・・・”と、歌いながら、得意げに案内してくれた。インドネシアでは大変珍しく、管理人の住処のようになっていないで、また、陳列品の手入れも良く、埃がかぶっていることはなかった。次に行った博物館(Bala Putra Desa Museum)は受付がいなくて、大声で読んだら出てきたが、どうも、奥の扉の後ろで、何か食べながら、テレビを見ていたらしい。全く、案内もせず、展示品も、ところどころ、隙間があって名札だけがあって、展示品が無い。
 その管理人が家に良いものをしまってあるので、良かったら見ていって欲しいと言われて、すぐ隣の家までくっついて行った。見せられたのは、日本軍が占領時代の軍票である。大日本帝国政府と書いてある。10Rp札を買わされた、1千円で買った。記念品である。私が今まで見たことが無いものだった。

 町中に織物をしていて直売している店が並んでいる通りがあった。Songket(ソンケット)
言って、バティックとは別物、バティックはロウケツ染めでが、ソンケットは様々な色の糸を編みこんで、繊細な模様を出すのです。織っている作業場を見学したが、大変複雑で、何をしているのか分からなかった。

 昼間も、其のあたりを通り、近くから遠くから眺めた、インドネシアでは有名なSungai Musi(ムシ川)にかかるJembatan Ampera(アムペラ橋)のライトアップの風景を見に夜出かけた。月がきれいだった。Palembangの人たちの誇の橋であり、憩いの場所である。
ホテルはその橋の近く、ベチャで8000Rpの距離、Hotel Awarna Dwipaです。ツインデッドルーム40万Rpです。

 しばし、現実から逃避して、エンジョイしようと思う、
Jembatan Ampera(アムペラ橋)のライトアップと月。
藤、ロタン?ラタン?の作品、近い将来、プラスチックのイミテーションを作ろうと思っている。

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気分は忙しいが [子供たち]

IMG_0025.JPGIMG_0004.JPG 明日から三連休、そして、PT.MAKUTAでの生産は終了する。三日間でPT.NANBUの中へ、全て引っ越しである。その間に、電気、水、空気の配線配管も終了させる。かなり、厳しい、日程になるが、何とか、3月1日から、始動できることを望んでいる。3月1日には本社の会長が午前中、寄るので、その間に、押出機の始動セレモニーが形だけでも出来ればいいと思う。
 というわけで、私の子供たちには、休日出勤をしてもらって、準備をしてもらう。大変、忙しい、日々になるはずである。ところで、私は、何をすればいいのでしょうか、何もすることはない、何もできることはない。今日、先ほどまで、私がすべきこと、全てが終わってしまっているからである。それらの日々は、私がいても仕方が無いし、うろうろしていればなお、皆さんに気を使わせてしまって、邪魔になる。
 そこで、皆さんにお任せして、私は旅に出る。気分は落ち着かないと思うが、現場でうろうろしたり、家でうろうろしたりするばら、旅に出た方が良い。というわけで、28日の夜にデルタマスへ戻ってくる。一日、一回だけ、ディッキ君に電話を入れる。

 旅に出ることもあって、先ほど、新しいキタスを受け取った。ブクビルの中身とマルティリエントリーパーミットも更新した。まだ、何点かの届け出や受け取らなければならない、カードなどがあるが、それらは急がない。また、それらを受け取るたびに幾らかの費用が発生する。
 何カ月か後に、PT.MAKUTAからPT.NANBUに替えるのだが、PT.NANBUとしての申請が先で、申請が終わってから、PT.MAKUTAのビザを取り消すことになる。
某イジップの某プリンター屋さんにお邪魔し、ローカルスタッフに会い、先日は、挨拶だけだったが、今日は押出成形品のサンプルを貰ってきた。図面をちらつかせていたが、図面を貰うことはできなかった。しかし、図面に書いてある原料のグレードまではメモを受け取った。見積もりを出すことはできる。
一日にまた、南部の人と一緒にその会社へ、開店の挨拶に行く。そのときには、相当、高い地位の人と面会することになるが、話題の提供にもなる、そんなこともあって、今日、訪問したのでした。ローカルと和気あいあいで話をすれば、誰もが、警戒心や緊張感は無くなってしまう。今日も、上司の日本人の名前は勿論、ハンドホンの番号、性格まで教えてくれた。いつか、其の人と会うことになるでしょう。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
援助する会社、始まる会社PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの仮ウェブサイトです。詳しい住所と電話番号FAX番号が決まりました、南部化成本社をリンクしました。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%204.html
インドネシアで知っていて、お得な情報です。予期せぬトラブルに巻き込まれないように、こんな知識が必要です。ビザの入手が各種手続きの始まりということが分かります。
ニュールンベルグの家の居間です。

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援助交際Bantu Mandiri [子供たち]

IMG_2094.JPGIMG_2715.JPG 色々な、方が訪ねてくる。私はPT.MAKUTAの人間だから、まだ、PT.NANBUの名刺を持っていないが、訪ねてくる人は当然南部の人間として話してくる。商社をはじめ原料メーカー、梱包関連、事務用品関連、ケータリング、レンタルバス、旅行社などなどである。勿論、従業員として雇ってほしいと来る人もある。また、特殊なのは、インドネシアの射出成型をしている会社や金型製作会社が訪ねてくる。本当に、気が早い、どこで、どう聞きつけてきたのか、ローカルの情報伝搬速度はおどろくほど速い。
 日系の、金型屋や射出屋は連絡してこない。敵か味方か読めないからでしょうか。PT.NANBUはインドネシアの日系企業の金型屋より、大型が出来る体制を整えようとしている。
 それらとは、別に、自立して会社を興したいのでと、資金援助を申し込んでくる、個人も団体もある。会社の姿にまだなっていないのに、どこから、何を聞きつけてやってきたのでしょうか。PT.NANBUにではなく、私を頼りにしてくるようですPT,MAKUTAが、そうだったように、実現可能な計画書と自己資金の内容が分かるような書類をもって、また、相談に来なさいと言って返す。
 自立をインドネシア語ではマンディリ(Mandiri)と言います。独立はムルデカです。インドネシアは、ムルデカは65年前にしていますが、マンディリはまだしていません。其のお手伝いですい。Bantuが手伝いの意味です。
 ジャバベカのルマハバンに工場を作った若者がいたので、其の場所を見に行った。PVCチューブの製造を行なおうとしているが、場所的に厳しいことと、其の場所では狭すぎて、成長に余地が少ないようだ。手伝いたいが、このままでは、資金を有効に使ってもらえる可能性が少ない。しばらく、様子を見る必要がある。それにしても、皆さん、たくましくなってきたと感心すると、同時に、インドネシア人同士の連絡網というか、情報の交換は早いし、広い。日本人の私が、それらの情報を全部つかむのは難しいが、あまり、入りこまない方が良いようだ、所詮、彼らの情報の中にはインドネシア人でなければ対応できないこと多い。
 ある、ハイド氏の会社の従業員は,だれもが、機会をうかがっているし、実際に、辞めて仕事をはじめて、ハイド氏の会社が受けていた仕事をやってしまっている会社がブカシにある。ここからは、技術的な応援をいつも頼まれている。スポンサーは他にいるようだ。

カラワンゴルフの名物ホール、ロータスの8番、の今日の様子。広い池越え打ちおろし、165ヤード、グリーンと池の間がバンカー、直接オンすると、頃だって奥へ出てしまう。
見返り美人です。
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page123.html/
援助した会社、閉じる会社。1995年からインドネシアで関わっている。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
援助する会社、始まる会社PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの仮ウェブサイトです。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%203.html
インドネシアの主な島には全部行っています。旅行記はこちらからです。それでも、行きつくしてしまったと感じることはない。

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