何しに行った? [旅]

IMG_2876.JPGIMG_285.JPG
 一日、ほとんど車の中、失敗だった。パレンバンから西南西方面の山を目指した。そこには、美しい滝とか渓谷とか、ヒンドゥーの遺跡などがあるはずで、それらに出会うはずだった。それというのも、地図を眺めると、この県の海岸方面の半分は湿地帯ということになっていて、地図上に町は全くないしリゾート地もなし、大体、道がないバンカ島の海岸からは、スマトラが見えたが、スマトラのこのあたりは海岸へ行けないことが分かった。
 さて、ドライバーの話によると、朝、7時に出れば目的地全部に行って、17:00過ぎにはホテルへ戻ってくることができることになっていた。
 ところが実際にはガイドもドラーバーもその方面のことは何も知らなかった。行ったこともないし、聞いたこともないことが、車に乗って2時間ほどして分かった。これは、とんでもないここになると予感した。事実、地図上でその遺跡や名所がある町へ入っても、彼らは、食事をまず、しようと、レスオランを探し始めた。レストランは後にして、其の場所を聞いてくれと頼んで、聞いてもあったら、その地点から、もっと先60kmだとか、もう一ッ箇所は通り過ぎて30kmほど手前だとかで、どうしようもない。12時過ぎて、戻る途中で食事をし、通りすいたという、遺跡へ寄って、パレンバンは帰ることにした。
 その遺跡に行けなかった。というのは、30km手前で左に曲がれば行けるということだったので、実際、遺跡の名前の看板が出ていた。しばらく行って、いくつか交差点があったので方向が間違っていないことを確認してもらった。そこで、また、がっくりした。道は間違っていなかったが、そこから60km先だという。その上、そこら辺から舗装が無いでおぼこ道に変わっていた。ずっと、道の状態はこのままかと聞いたら、もっと狭く、でこぼこになると聞かされた。やーめた。さっきの、左へ曲がった地点に戻って、ホテルへ向かわせた。そこから、何時間かかるか聞いたら、二時間だという。実際には三時間かかった。
 今日の一番のハイライトはなんといっても、広範囲の洪水地帯を見物した事でした。Musi川という大河がこの辺一帯を右往左往しながらとうとうと流れている。そして、その両岸には堤防が無い。川のどこかで大雨が降れば、どこかの水位が上がり、両岸にじわじわと水が溢れだす。一本の国道と一本の線路は1~2m土を盛って作ってあるので冠水していない。だから、洪水の深さは最大で1m前後ということになる。そして、何年も同じことを繰り返しているのでしょう、家は1mほどの高床式になっている。道の両脇ぎりぎりまで水か来ていて、家から道まで狭い木の橋を掛けてある。勿論遠いところは小舟を使っている。慣れたものだと思うが、何とかしようとしていていないようでもある。

 家の前で、釣りをしている人多数。水遊びをしている子供、うん子やおしっこをしている小さな子供、などなど、悲壮感はない。
 ホテルの道を隔てて反対側のレストランのオープンテラスから、こういう風景を見ると、インドネシアも、変わったなと思う。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
援助する会社、始まる会社PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの仮ウェブサイトです。三月一日にPT.NANBUで押出の成形が始まります。佐々木会長を迎えて、押出だけのささやかなスイッチオンを行う予定です。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0