(^_-)-☆デモベースアップ [インドネシア]

1108 とんでもない日にインドネシアへ来てしまった。イミグレを通って外に出て、タクシーカウンターへ行った。それぞれのカウンターで手招きをしているのはいつもの風景である。そのうちに一つに行き先を云った。車が無いと云われた、隣へ行ったら、やはり、そっちで頼んでと云われた、その次は、ここではだめだから、そとで白タクに頼んだ方が良いと云われた。その会話の中で、デモがあって、その渋滞で車が戻ってきていない、というのが、ちらっと聞こえた。
 外へ出れば大勢のタクシー、タクシーという声が待っていた。そのうちに一人にMM2100まで、と言ったら、何の抵抗もなく、OK、40万Rpでどうだ、といってきた。ちょっと高いがこちらもOKいた。さー、それからが大変だった。ドライバー(以下Dにする)さん、「チカランで朝からデモあって、高速道路が閉鎖されている、もう、開通していると思うが、朝からの渋滞は今も消えていないはずだ、バンドンへ向かった友達は、チカランの手前で特設のUターン場所から戻ってプンチャックを回って行った、だから、何時に着くか分からない」と話しだした。
 チャワン方面は渋滞がひどいから、タンジュンプリオクを回った。ところが、スンタール辺りで車が動かなくなってしまった。のろのろ運転が始まった。超のろのろである。18:00過ぎに空港を出発して、プルガドンの降り口辺りでは20:00でした。一旦一般道(下道)へ出た、しかし、ここ同じ、再び、高速に乗ってチャワンに着いたのが21:00、しかし、ジャカルタへ行く車線は大渋滞でツマっていたが、ボゴールとチカンペック方面へ行く車は一台もなかった。前方にパトカーが停まっていた。通行止めでパトカーがいるのかと、行くのを躊躇していたら、「行けるから行け」と、棒ランプを振っていたので、恐る恐る車が何もない方面へ行ってみた。すると、ジャカルタ方面からの車が猛スピードで走っていた。これは、いけるぞ、渋滞は無くなっていた。と喜んだ。
 しかし、ポンドック、グデ、ティムール辺りで、渋滞になってしまった。Dは交ラジオで通情報を常に聞いていた。チビトゥン(MM2100)インターの手前で規制が効かなくなったデモの連中がタイヤや木材に火を付けて気勢を上げていた、バイクが高速を占領してしまった。20:00には完全に開通しているという情報は入っていたが、一向に進まない、路肩走行で何とかタンブンへ来たのが22:30、ここからは私の指示で、JL,カリマランへ出て、後は、ジャランティクス(鼠道)を教えて、MM2100のゲートの横から工業団地へ入った。会社へ着いたのが、23;00を回っていた。そこから自分の車でチカランへ向かった。陸橋から見下ろすと、チカラン方面は順調に流れていたが、ジャカルタ方面はまだ大渋滞だった。このことから、チビトゥンからジャカルタへちょっと寄ったところが、封鎖されていた地点だと分かる。
日付が変わる直前に家へ入った。取りあえず、ほ!!!
伸びた足と手の爪を切った。冬の日本で爪を切ると爪が切れるというより割れるように切れて、衝撃が大きいので痛いし、切断面が欠けたようになっていて、業界用語でバリというやつが出来てしまうので、やすりで手入れをしないと何かとひっかかりやすくなる。インドネシアなら普通に快適に切れるので快感。
今日から約一か月の滞在になる。インドネシアの会社とは契約がまだ残っているが、VISAが2月末で切れるので、更新をせずに会社との契約も2月末で終了し、エポの手続きをしてもらう。一ヶ月後から、インドネシアでの仕事は区切りを付けて暫く仕事なしでインドネシアと付き合うことになる。

  孫に会うのはうれしい、久しぶりならもっと嬉しい。しかし、孫とさよならする時は、もっと、
嬉しい。今のところこれの繰り返しである。
 IMG_2680.JPGIMG_2665.JPG富士山の写真を撮ったのが07:15くらいでした。新幹線は何の異常もなく通過していた。
   
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0