(^_-)-☆不惑は、いつ? [思うこと]

 2325 論語 孔子さんがおっしゃった。四十にして惑わず、と、それまで、色々、迷っていたのでしょう。40歳で迷うことが無くなって、思うように行動したのでしょう。そして、何歳まで生きたのか知らないが、七十にしてこころの欲するままに行動しても、道を外すようなことは無くなったらしい。自分が思ったことだから、他人から見たら、道を外していると見えるかもしれないのに。

で、私は、その70を超えて1.5年過ぎた。孔子さんは、40で迷いが消えたと言っているので、それまで、大いに迷ったのでしょうね、勉強もして、迷いが無くなるように努力したのでしょう。ところが私は違った。物心付いたころから、ほとんど、迷ったことがない。いい加減というか、成り行きというか、気持ちの赴くままに生きてきた。そして、迷わない生き方は、逃げる生き方だった。楽な方に楽な方に向かっていた。そこに、居たくなくなったら、場所や環境を変えた。これは、一貫していた。大学の選び方も、就職先も、会社を止めて、自分で始めたのも、静岡へ移ったのも、会社を他人に任せたのも、インドネシアへ来たのも、その後も、仕事の場を何度も買えたのも、すべて、その場にいたくなくなったからでした。それでも、結構、周りからは、積極的に行動していると思われていた。私にはできない、と、言う人が多かった。でも、私には出来た。

そして、高校生の時から、経済的には80%以上は自立していたし、大学を出てからは、完全に自立していていたので、思うように出来た・

そして、ずっと迷っていなくて、今まで来ている。しかし、今、この年になって、迷うようになった、というより、方向を、このまま続けるか、もう、いい加減に引退して、日本に落ち着くか、決めかねている。インドネシアでの環境と事情、日本の家の事情、自分の体調、体力、全てが、こうだから、そっち、という、理由がないし、どうしても、どこへという、理由もない。一体どうしたらいいの?70猶予にして、初めて、どの方向が、自分に合っているのか、楽なのか、自分が思うままなのか、思うが、はっきりしないので、困る。ずっと不惑で、今になって惑いの世界にはまっている。

そろそろ、決断をする時なのだが、今、もうしばらく、様子を伺おうと思う。インドネシアでは、環境を変えることができれば、まだ、沢山やりたいことが残っているし、人によって、私を求めているのが分かるが、人によって、いてもらわない方がいいと思われているかもしれない。どちらに重点を置くか、私が逃げるには、どちらの方向が、会っているのか、木が枠なのか、思う方向なのか。70にして、惑いである。今の環境から、今の境遇から、逃げ出したい、今までなら、すぐに、逃げだせたのだが、今は、逃げ出す方向が分からない。そして、前の会社PT,ASKA INTERNAYIONLIND INDONESIAのように、とにかく逃げ出さなければ、ならないというわけでもない。どうしても、逃げ出さなければ、ならないという、切羽詰まった事情があるわけでもない。
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再び不惑になるのは何時?72くらいになって、再び、不惑になればいいなと思う。
 

タグ:不惑 迷い 立つ
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