青春謳歌の一幕 [勘違い]

spisopiso.jpgBungawanSolo.JPG 今は、知らないが、当時、卓球の試合の団体戦は、シングル、シングル、ダブルス、シングル、シングルという順の5ゲームで三勝を挙げた方が勝ちという形式だった。四人で団体戦組み、その中の実力一二の二人がダブルスを組む。順番は、作戦で、相手のNo,1とこちらのNo,4が当たるように考えるとか、No,1同士をぶっつけようかと考える。一般的には、No1、No3 ダブルス、No2、No5にするチームが多いので、こちらの誰をそれにぶっつけるかを考える。相手の一人一人の大多数は中学校の当時からの知り合いが多いので、大体の実力は分かっていた。他の学校は、顧問のコーチが決めていたようだが、私にチームにはコーチはいないので、キャプテンが主に決めていたが、メンバー全員で、相手の誰と当たりたいとか、当たりたくないとか言い合って決めていた。それは、それでいいのだが、高校二年の時、静岡県中部大会団体戦の準決勝で、私はその時、自チームのNo3として、ダブルスの後、4ゲーム目にエントリーしてあった。本当の作戦は、三試合で、二勝一敗で来て、私は捨て石で負けてもいいように相手のNo1にぶつけ、二勝二敗でチームのNo1が最期の相手のNo4に勝って、三勝二敗で勝利する作戦だった。処が、作戦に反し、負けてはいけないダブルスで負け、そこまで、一勝二敗になってしまい、私が負ければ終わりだった。私は中学の時にその相手と二回試合をしているが、簡単に負けてしまっていた。自分のチームの全員が、もう、だめだと、あきらめてしまい、ヒドイことに、試合場所の周りで応援するはずの自分の学校のメンバーが誰もいなくなってしまった。私の次に出場するはずのNo1でキャプテンもいなくなっていた。何だこりゃと思った。相手の学校の応援団は強制的だろう、大勢来て大声をあげていた。
 試合が始まった。私が簡単に負けるはずだったが、最初から、どうも様子が変だった。私のサービスを相手はことごとくリターン出来なかったし、相手のサービスは簡単にいきなりスマッシュを決める事ができてしまった。相手は、そんなはずではなかったという焦りが、もっと、緊張を膨らませ、がちがちになっているのが分かった、試合をしていて相手が気の毒になってしまった。相手のコーチがいろいろ指導したが、空回りだったのでしょう、最期まで、ペースをつかむことができなかったし、打つ手を変えようともしなった、ずるずると、私が勝ってしまった。自分でビックリだった。
 回りを見ると、他校の女学校の中学校当時から知り合いの友達が大勢、私を応援してくれていた。中に、私が片思いで、それに気がついてくれず、本人は友達と思っている女性も応援してくれていた。勇気百倍だった。自分のチームのメンバーの応援など必要なかった。もう、夢見心地で、アイドルになったような気分だった。
 勝って、5ゲーム目に出るはずのキャプテンはどこにいたかというと、着替えてしまって帰り仕度をして、自転車でグラウンドをぐるぐる回りながら私が着替えて出てくるのを待っていてくれた。帰ってしまわなかったのが救いだった。急いで着替え直し、会場に戻って、試合に臨み、簡単に勝って決勝戦まで進んだ。決勝では私が5番目になったが、私までまわって来ないで負けてしまった。こんな、チームでしたが、先輩も後輩もなく、和気あいあいだし、キャプテンとは小学校からの一年上の兄さんのような付き合いだったし、練習が終わって、自転車の後ろに乗せてもらい、二人乗りで、帰宅する機会も多かった。高校まで同じで、大学は違ったが、国公立選手権の会場や私が郷里に帰った時に静大の卓球部で先輩にお世話になったこともあった。
 静岡県庁の事務長を長期で勤め、長い間、県知事の補佐をしていた。卓球部のOB会で数年前に会って其の当時の話をしたら、覚えていた。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
スマトラ島のトバ湖の西の端にあるシピソピソの滝、高さは、一見しても、那智の滝の倍はありそうだ。
 中部ジャワのブンガワンソロ(インドネシア一の大河)の渡し船。清き流れは嘘、茶色く濁っていて、流れ来るゴミの量は半端じゃない。
   

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