(^_-)-☆パニック障害の原因、症状、治療 [パニック障害]

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ある人が会社へ来てインドネシアのちょっと昔の話をしていった。その中に、撤退し南部に売ることが決まっている会社の社長さんヒラノが、私が2006年に許可なく急きょ帰国してしまったと、其の人に話をしていたという話が出た。ということで、その他の人にも、私はとんでもない人だったと機会があるごとに言っていた、という話を色々な人から聞いていたので、もう一度、その時のことを載せることにした。もう、私が、インドネシアへ戻れない、何を言っても、私の耳には入らないと想って、私のことを悪者にして自分の状態を正当化しようとしていたことが分かった。
ということで、以前書いたパニック障害についてその原因と治るまでの経過をもう一度纏めて載せます。
 一人でなくて良かった
 今から思い起こすと大変な試練の日々でした。人の手助けだけを考えて行動している私が、強烈なパワハラの対象とされた事実を一週間にわたって書きます。同じような被害の体験者も多いと思う。今は解散したPT.KGS(間もなく私も再入場し押出成形をする可能性がでてきています)の日本本社の人は良く噛みしめて、読んでください。人生が開けます。
 現在 発病以来約四年近くになります。すでに、ほとんど、普通に戻っています。原因がはっきりし、其れに合った薬を飲み続けているからです。病名はパニック障害(不安症候群)です。原因は過度の筋肉疲労と脳の使いすぎと神経の使いすぎだそうです。神経があちこちで誤動作をしてしまう立派な病気です。
インターネットで検索すれば詳しく知る事ができます。
こんなに分けが分からない大変な病気があったとは、全く知らなかった。あちこちで、いろいろな検査を繰り返しましたが、CTスキャン MRI+MRA 24時間レコーディングホルター、心電図、各種エコー、平衡機能検査、胸部、頚部X線、勿論血液、尿検査も全て異常なし。
インドネシアでは、国立心臓センター(Harapan Kita)、たけのこ、Medikaroka、Siloam、SOS,PERTAMINA ANISSA,それらも、二回三回のところもありました。いずれも、的確な病名を指摘してもらえなかった。すべての科から、数値的には正常として見離された。心臓などはこの位の不整脈は誰にでもあることで、いちいち、騒ぐのは臆病すぎるとまで、言われた。ただし、竹の子とアニッサは神経安定剤を処方してくれたので、若干の効果はあった。
 この間、ずっと私の手伝いをしてくれたのがお手伝いのマリアさんでした。彼女は運転免許を持っていたので、真夜中でもジャカルタの病院へ送ってくれたし、入院中は病院から学校に通ったりして、何時もそばにいてくれた。私の病気は別名、孤独恐怖症候群ともいいます。一人の時、色々な症状が出やすいのです。またそれが恐怖になると、なお、出やすくなる。マリアさんがいてくれてどれほど助かったか知れない。
日本では日本医科大成田空港クリニック、そして、静岡県立総合病院、耳鼻咽喉科、神経内科、循環器科、からは見離され、その代わり、神経安定剤のデパス錠0.5mgを処方してもらった、これがとんでもないことになった7月26日、就寝21:00前に飲んで寝た、27日朝 4:30目がさめた、その時から、ひどいことになった。薬が切れたリバウンドだった。息苦しい、両手足はしびれ、痙攣し、しばらく我慢しようかとも思ったが、ただごとではないと感じ、タクシーで県立病院の救急医療室に飛びこんでしまった。
これが、ラッキーだったというか。救急医療室に着いたとたん、ほとんど、意識がなくなってしまったが、医者の診断は過呼吸障害だという。血液中の酸素が多すぎ炭酸ガスが足りないという。呼吸をできるだけ止めるように言われた。紙袋を顔に被せられた。息苦しいのは酸素が多すぎるのに、一生懸命呼吸をしようとするから、なお、酸素が多くなってしまう。初めて知った。(インドネシアではこんな症状が何度もあって、其の都度、死の恐怖を感じた。)
間もなく、正常に戻った。血液検査、胸のX線写真も全く問題なし、その他もやはり、全部正常。明日の朝、総合診療科にかかるようにアドバイスされ、家に戻った。


翌日09:30 最後の砦である、勧められた総合診療科で受診した。袴田医師である。とにかく、「あらゆる、検査結果が正常。これだけ正常な人は珍しいくらいだ、90-100まで生きますよ」。と言われながら、出された、症状チェック表、
1 息苦しい2 目眩がする 3 頭痛がする 4 頭が重い  5 動悸が気になる 6 胸が痛む 7 目の乾き 8 唾液が減少(口の渇き) 9 寒気 
10 手足がしびれる 11体のあちこちでちくちく感じる 12気絶はしないがしそうになる 13死の恐怖を感じる 14 他人と話しをしている時は症状が現れにくい 
15 一人でいるのが怖い16  それらがおさまっても、それらに対する恐怖心。
17 音に敏感になる。18 脈が飛ぶ。
続いて、見せられたのが、生活状況、1 普段疲れを余り感じない。2 頭脳を常に使っている。3 スポーツは盛んにやる。 4 職場でストレスを感じるが逃げない。
全てが、私に該当した。典型的な、不安症候群(パニック障害)と断定された。「ぴったりの薬があります。主な症状は二週間程度でなおります。」しかし、薬は三種類あり、どれも90%の人に効くということで、まず、其の一種類目から試し始めました。
コンスタンという薬が劇的に効いた。気絶しそうになる事は全くなくなった。それだけでも、不安の90%は解消した。
現在は、パニックはなくなっています。でも、まだ、以前の恐怖が忘れられず、また何か気絶しそうになるのではないか何処にいても、なにをしていても不安です。
 ほとんど発病前にもどっています。
  症状がほとんど消えた一ヵ月後、完全帰国の為の手続きと、身の周りの整理の為にインドネシアへ戻った。一週間ほどの間、親しい方たちに挨拶を済ませ、2006年8月25日PT.KGSと完全に切れた。三人の代表者の元で9年間非常に充実していたが、四人目の代表者のヒラノが着任してからあからさまないじめが始まった。
 そのために派遣された営業の専門家と聞いていたが、仕事を獲得できないし、獲得したわずかな仕事も、間違えて、大損の見積もりを出し、やればやるほど損を大きくしていたのに、本人たちは、大儲けをしていると思い込んでいた。早く、私に入場されると、そういうことが、全て、引き継ぎで明らかになってしまうので、わざと、無血開城を遅らせていると勘繰りたくなる。そういう会社が、解散する状態を書いてあります。今は解散したPT.KGSの日本本社の人は良く噛みしめて、読んでください。目からうろこになるでしょう。
ポンティアナックで高級ホテルのホテルカプアスの朝食です。インドネシアではめったに食べない高級朝食です。ツインベッドルーム(朝食付き)で三千円、一人1500円と言うことになる。私は果物とソーセージにご飯はほんの少し、コーンフレークを少々です。マリアさんはナシクニン(黄色いご飯)に鶏肉をボイルしたものと野菜いためのようなものを取った。赤いサンバルが添えてある、これを付けながら食べるのです。鳥肉に付けてある赤いケチャップのようなものは辛くない。テーマニス(紅茶)やブアブアハン(果物類)はこれの外側に置いてある。
    

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