(^_-)-☆超原始生活の意地 [日常]

   IMG_8350-.JPGIMG_8350.JPG部落は車の通りから50m以上下にある。そのため、車の通りの脇にバスや車の駐車場を作り、その周りには地元をはじき出された人の仕事を作るために、駐車場係とか、ガイドとか土産物売りの店やレストランも観光省が与えた。
せっかく、インドネシアツアー中の外国人が、知らずのこの場所を訪れて、一悶着起きる、皆さん、せっかく、期待してきたのに、部落へ入れない。外国から大コンプレン、政府も困ってしまった。特例中の特例として、灯油を安く、十分な量を供給するという回答を半年後に獲得した。直ちに解放した。そういう一騒動が在った。

部落へ下りる階段は大変急で、帰りが大変だった。一息には登りきれない、途中で休憩が必要だ。部落の面積や家の戸数は増やさない。10年に一度作りかえる、部落民総勢で手伝い一週間で作ってしまう。材料は骨組みが木、壁や扉は竹を色々な幅で手くられていた。屋根は、昔、日本でも箒の材料になっていたので見たことがあるシュロを使って葺く。ところどころに50cm四方のガラスが埋められていて太陽光を部屋の中に入れる工夫をしてある。勿論、電気器具はまったく置いてない、そりゃそうです、電気を使っていません。
金持ちも貧乏人もいない。完全共産主義だと思う。

当然ながら学校や診療所はない。上の道沿いの学校へ行っている。人員構成は、非常に巧みに調整しているらしい。妊婦も生んだばかりの女性も表に出ている。外で、おっぱいを飲ませていた。老人も大変多い。長生きの部落だという。聞くと、80位に人も多いとか、外へ出て、女性の観光客に話しかけられて、一緒に写真を撮るのが楽しみだという。
生活のストレスが少ないと思う。そういう状態に部落じゅうが一致しているのです。結婚式や葬式もお互いの食べ物や衣装を貸しあう、そして、何週間後には、手伝いありがとうパーティーをするとか、とにかく、和やかに、喧嘩は全く無く、全員が家族のように暮らしているという。私には、とても我慢できない世界ですが、なんとなく、ずっと昔の日本の山村の部落に似ているような気がして懐かしい。田んぼのあぜ道も何十年振りかに両手を広げてバランスを取りながら歩いた。
 白川郷のミニ版といったところか、こちらの方が大分知恵が遅れていて、何もしない、何も進化を望まないという風である。欧米人にこのまれそうな場所である。

 場所的にはパパンダヤンからか知らないが、有史以前に流れた幾筋かの溶岩流が在り、それぞれの尾根に主要道路あり、谷間の底に川が流れ、集落が続いている、その中の一つがカンプンナガである。向こうの尾根とこちらの尾根に挟まれた谷間のそこの川に向かって広大な棚田の景色が素晴らしい。何キロも続く。インドネシアらしい風景である。この棚田で二期作、三期昨をするのですから、日本の棚田の風景などは規模的に100分の1も無い貧弱なもので、市場開放をしないというのは全くナンセンスです。話は別の方向へ行ってしまうが、全く太刀打ちできない物を太刀打ちできるようにと補助をするのはどんなものか、永久に自立が出来ないとわかっていて、金を注ぎこむのは如何なものか。
 パンガンダランの海岸風景、遠浅ということが見とれる。半島方向と反対側、数え切れない人人、海で泳いでいる人は一人もいない。バリや日本の海水浴場とは雰囲気が全然違う。水着を着ている人は一人もいない。万が一、水着の人にあったらそれはインドネシア人ではありません。ビキニはジャカルタ辺りで売っていることは売っていますが、来ている人を見たことが無い。

  
ドイツから娘と孫たちが日本に来ている二か月半ほど静岡にいるらしいが、早く日本へ帰りたい。三月中旬過ぎには帰れそうだ。二週間ほど、一緒にいることが出来る。

   
タグ:自給 原始 棚田
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