(^_-)-☆日本の夏 [孫たち]

 1291 一日、いい運動になった。良く歩いた。おかげで、家に戻って、バタンキュウ状態だった。心地よい疲れである。“十団子も小粒になりぬ秋の風”許六、と言う俳句を知っていますか。私の家から4kmくらい西に宇津の谷峠。「駿河なるうつの山べのうつつにも夢にも人に逢わぬなりけり」伊勢物語や百人一首の在原業平が友人に送った和歌、手紙で。その手前に東海道中膝栗毛、十返舎一九の弥次郎兵衛と北八や“梅若菜 丸子の宿の とろろ汁   芭蕉翁””葛飾北斎の浮世絵にも書かれている丁子屋、そんな場所の中の一角に大鈩不動尊があって、縁日 丸子朝市 毎月28日に開かれる。蝉の声がけたたましい中、何年振りかに行ってみた。日本の故郷の原風景を見ているようで、何となく懐かしく思いながら、3Kmほど山の中へ歩いた。狭い山間部にお茶畑、山葵田などこの地方らしい風景も見られる。山葵を買った。
十団子は美味しくない、普通のコメを10cm弱の直径のボールにして、1mm以下の直径の木の蔓に10個ほど通してそれの蔓の片方だけ縛る、小さい団子の食べである。それを軒先などにつるして、魔よけとする。だから、普通の団子のように、土産物にはならない。その小さい米のボールがもっと小さくなっているというのです。芭蕉の弟子の許六は、何を言いたかったのでしょうか。
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夕方は安倍川の花火大会、家から東、静岡市街に入り前に安倍川がある、7月最終土曜日にこの地方最大の花火大会がある。これには何十年ぶりだろうか、孫二人と三人で行ってみた。行きはバスで、帰りは歩きでした。4kmほどである。孫二人には途中にあるマックに寄ることを約束したからか、機嫌良く家まで歩いた。家に着いたのが22:00を回っていた。
花火の人出はざっと見て、5万人かな?安倍川橋のちょっと北側の中州に仕掛け花火が次々と打ち上げられる。私たちはそのすぐそばの河川敷の草むらに寝そべって見上げていた。真上に打ち上げられたようで、火の粉が降ってくるような場所にした。孫たちは大喜び、しかし、2時間以上なので、ドンドンと心臓に響くような音にも慣れてしまい、二人とも私に腿を枕にして見上げていたのが、いつの間にやら、眠ってしまった。次第に重みを感じながら、直ぐ隣に座っていた一人で来ていた、私と同じくらいの年の女性に、シートを端を借りて、私も、うとうとしてしまった。その女性に“もうすぐ終わりますよ”と、言われて、我に帰った時には最後の仕掛け花火が始まる前だった。
花火は、バブルの時代を知っている私にとっては、ちょっと、寂しい、仕掛け花火が少なくなっているし、内容も落ちている。一発花火が増えている。それでも、スターマインや仕掛けが終わるたびに拍手が起こっていた。これも、日本の原風景か。半分は寝てしまっていた孫たちも満足そう、ドイツにはこういう花火大会は無いから、楽しかったと言っていた。マックのオマケが気に入ったようだ。私も子供のころに戻ったような錯覚を覚えた。

オリンピックの開会式を通りすぎ競技が本格的に始まった。柔道の福見選手は残念。

  

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