(^_-)-☆閏年 [知識]

 2601 二月から三月にかけて日本にいることは、この二十年間、全くと言っていいほど無かったと思う。意識して、避けていたのです。だから、雛人形を飾る手伝いもしなかった。ところが、今回、たまたま、日本にいるので、“おじいちゃん、棚の組み立てをしておいて、飾るのは私たちでやるから“ということで、組み立て図を見ながら、雛壇を作った。上の子の学級が34人中11人風邪で休んだということで、学級閉鎖になったといい、早く帰ってきて、彼女が雛飾りをした。私の親が、娘が生まれた時にかったものだから、45年物と言っていい。
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で、なぜ、この時期には日本に帰ることを避けたかというと、花粉症のせいだ。

実は、私は物心付くころから花粉症だったのです。勿論、花粉症という言葉はありませんでした。毎年、寒い時期が終わる頃、春になる前二月から三月にかけて、必ず風邪をひいていました。(そのときの表現です)どんなに用心をしても必ず、でした。最終テスト(期末試験)終了式、卒業式の時期、鼻紙、チリ紙といっていた。を一杯ポケットに入れて、くしゃみをしながら鼻をかんでいました。あまりにうるさいので、テストの時は時間一杯、教室にいないで、半分くらいの時間で外に出ていましたし、何かの式の時も途中で追い出されていました。困ったのが小学校の5年の時、上級生の卒業式で送辞を読むことになり、その時はまたひどかった。式が始まってすぐ式場から出て、送辞を読む時だけ戻って、終わったらすぐ外に出た。

 大学を卒業し、就職した時も新入社員講習会の時、大変だった。二十人ほどの入社した中で大卒は私だけ、他は全員高卒者。私は特別席のような一番前に座らされていたが、是が、クシャンクシャンやっているのだから、格好が付かない。惨めなものでした。これが、半年後には、組合の教宣部長になって、次の年の新入社員教育を私がすることになったが、副部長に代わってもらった。

 どんな治療をしても治らないのに、それが、4月に入ると、ケロッと風邪が治ってしまう。30歳の頃、巷に花粉症という名前が現れだした。私は子供の頃からの筋金入りの花粉症だったのです。皆さんは遅れている、そのころ、原始人はかからない文明人がかかる病気だなどといっている人がいて、私など、ひそかに子供の頃から文明人だと思ったりした。50年以上も花粉症と付き合っていたのですから。昔は、ねずみ色のちり紙、途中は白いちり紙、トイレットペーパー、ティッシュペーパー、最期はウエットティッシュでした。鼻の下だけでなく、片手を広げて顔を覆う、その範囲がすべて、くしゃくしゃになっていた。

 インドネシアに来て、よかったと思うこと一つに、花粉症から解放さえたということでした。現在はこのスギ花粉の時期に日本にいることは無いので、自然に治ったかどうか、確認することはできないし、確認したくも無い。という文章を依然書いた。

 閏年に関して、ウンチクを夕食時に孫たちに話した。一年は約365.25日(実際はこれもぴったりではない)0.25×4は、1だから、四年ごとに366日にして調整している。4で割れる年が閏年だよと、本当はもっと、細かい調整が必要だが、それ以上は言ってやらなかった。昔、陰暦を使っていた時には、閏月を設けて、季節の調整をしていたんだよ。イスラム暦では、季節がない地方で生まれたから、調整をしないので、一年が約355日のままになっているんだよ、っと。
  

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