50年前の情景の一部 [体験]

IMG_3490.JPGIMG_3491.JPGゴルフは予定に入れてなかったし、仕事は金型待ちなので、何もすることが無く、久しぶりに何もしないでくつろぐことができた。
子どもの頃の運動について書く。腕力が異常に無く、懸垂が全く、一回も出来なかった。未だに、一回も出来たことが無い。これは自慢である。こんな人は多分いないでしょう。だから、逆上がりも出来たことが無い。100%劣等人間でした。だれにも馬鹿にされたし、先生にもさんざん言われた。高校一年の時の一学期「逆上がりができない奴評価は10点中の1にすると言われた。その通り、通信簿に赤で1と書かれていた。
後にも先にも赤1はこれ一回きりであった。体育の通信簿はいつも最高の5か10だった。この時も二学期には10になっていた。というのは、鉄棒で足掛け上がりや、蹴上がりは反動を使うから出来るのです。ただ腕力と腹筋だけの逆上がりができても、テクニックを使う蹴上がりができない人がはるかに多かった。私は車輪も出来た。体育は足も速かったし、水泳も普通以上だった、クラスに中で一番ではなかったが5番以内にいた。クラス対抗リレーでも二三番手で選ばれていた。
卓球は、腕力が無くても器用さと動きで、相手をごまかせば有る程度は出来るだろう。横着してもレギューラーメンバーになれるだろうと思って中学一年から、始めた。野球やバスケットボールをやってみたいと思っていたが、いかにも運動神経が発達していそうで体も大きい連中が入部していたので、自分は向かないと思った。野球は守備や走塁ではソフトボールの遊びで、負けないと思っていたが、打つことは全く駄目だった。どんないいあたりでも、ホームランなどは夢の話で、流し打ちでライト前に落とすしかなかった。引っ張っても仕方がなかった。バスケットは、ボールが重かった。ジャンプシュートができない。何より、選手同士のぶつかりあいができなかった。
卓球なら、手首をくるくる返せば、どっちの方向へも打てるし、人とのぶっつかりは無い。処が、考えが甘かった。入って見て、先輩は5人だけだったが新入人数が50人以上いて、卓球台は三台だけ、まず、人数を少なくするためのトレーニングが始まった。ラケットは持たずにランニングとストレッチ、学校の周り一周が1500mほどあったが、毎日、5周回らされた。一か月で、10人以下になった。ラケットを持ったはいいが次は素振りが加わっただけ、壁に向かって、一に、一に、と素振り7月の夏休みに入る前に3人になっていた。そのうちの一人は小学校の時から、家の近くに卓球場があったので、飛びぬけて上手だった。二年の先輩も彼にはかなわなかったので、当然、直ぐ、団体戦のレギュラーに抜擢された。しかし、私と、もう一人は、完全に球広いで、なかなか、ピンポン球を台について打たせてもらえなかった。
夏の本戦は早く会場へ行って、選手が練習する卓球台を確保することだった。先輩の成績は芳しくなかった、順位がどこだったか覚えていない。新人戦も出場機会なし、やっとそのころ、三年がいなくなって、部員数が8人ほどになり、卓球台で練習させてもらうことができた。しかし、何も経験が無い私は一番の荷物、先輩連中も私とは練習をしたがらないし、親切に手ほどきをするような人もいなかった。後に、高校の先輩にもなる其の人も、全く私には興味は無かったようで、一人卓球場で練習していてうまかった同級生を相手にしていた。壁に向かって球を打つことが日課だった。座って、突っつきの練習や立って左右に動きながらフォアーやバックハンドの練習を一人でしていた。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
一年生の終わりでは、やはり一番下手だった。
短粒米の包装、富士光の袋は印刷が裏返しである。カリフォルニア米で シンガポール経由でインドネシアへ入ったものです。POP MIEのミーゴレンです。焼きそばカップヌードゥルです。

誤字、脱字、変換間違い、が多々あることをお許しください。自分が書いたものを、殆ど、チェックしていません。ごめんなさい。
    

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