青春おいしい思い出 [趣味]

IMG_3482.JPGIMG_3481.JPG 三連休になったが、今回はどこへ行く予定もない。出勤である。 というのも、従業員が慣れれていない新しい仕事をするので、迷いや間違いが無いように監督しなければならないからでした。
13;00に終わったので、これも、久しぶりにリッポチカランのハイパーモールへ行って、切れてしまって久しい、ジャポニカ米(短粒米)富士光と苦に国寶の二種類を買った。各五キロ1500円前後、一キロ三百円ということになる。それだけでは、もったいないので、インドネシア米を5キロ買って、混ぜて使うことにする。こちらの価格は5キロで六百円、一キロ百二十円である。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
これが、ジャカルタの日系スーパーでコシヒカリやキララなどは五キロで三千五百円から五千円で売っている。一キロ、七百円から千円である。それでも、売れているのです。ちなみに私は日系スーパーで米を買ったことが無い。もっとも、日本でも、一番安いとい事が購入する条件です。新潟魚沼産コシヒカリなどというものは食べたことが無い。ちなみに、私が一番おいしかったお米は宇都宮の旅館で食べたものでした。種類は分からない、きらきら光っていたし、甘くておいしかった。その旅館は、関東ブロ、と言って関東甲信越の国公立大学の各種運動部の選手権でした。毎年、各県が持ち回りで主催しその大学へ行って試合をするのです。私は卓球でこれに参加していた。ちなみに中学、高校、大学と10年間卓球部に属していた。中学の時は四番か五番手でしたが、チームとしては、静岡市で新人戦、夏大会で優勝していた。高校の時は学年で二番手でしたが、一年の時は全体で四番手だったので団体戦ではチームの面倍になっていた。二年の時静岡県の中部で準優勝、三年の時は三位でした。中学の時の同級のメンバーの中では私が一番手になっていました。大学の時は、一年、入部した時方四年生より上で、一番でした。ですから、一年の時から、レギューラーで、個人戦でも、全国国公立選手権ではベストエイトに入っていた。
卒業と同時に卓球部という形ではやらなかったが、就職した東洋プラスチック精工の一年目に健康保険組合の静岡県東部の選手権があった、会社の総務から出て見ないかと言われて、個人で出て見たら、いきなり、準優勝してしまった。団体対戦も在ったが、私の会社では卓球部は無いし、出場したのは私だけだったので、団体戦には出なかった。
その何週間あとの問題を起こすことになるとはその時全く予想していなかった。
個人戦で四位までが県大会に出場する権利が与えられた。義務とは受け取っていなかった。すっぽかしても構わないと思っていた。県大会のことなどどうでもよかった。三島近くに住んでいたし、静岡まで卓球をするために行くことなど全く、頭から消えていた。当日は横浜で、間もなく結婚する妻とデートをすることになっていて、山下公園や氷川丸、中華街とお決まりのコースを満喫していた。勿論、他のことは頭になった。
 月曜日会社へ入ったら、いきなり、総務から呼び出された。何のことか全く心当たりが無い。いきなり、「太田君の困るじゃないの、すっぽかして」と言われた。良く良く聞くと、静岡県大会の団体戦は個人戦で四位までの人が団体戦のメンバーとして出場する義務が有ったのでした。一人足りない状態でやったという。散々な結果だったし、相手に失礼をしたという。
そんなことは全く知らされていないので、個人戦だけなら欠場しても問題ないと思い込んでいたのです。実際、事前に知らされていないし、大会の直前に確認の知らせや電話もなかった。
話は、とんでもない方に曲がってしまった。明日はこの続きになる。
MM2100ルコの中にあるバイキング式のレストラン、これば三百円。道端のお墓売り。
   
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