(^_-)-☆インドネシアの押出成形4 [押出成形]

IMG_6414.JPGIMG_6412.JPG 2010,10,10、午後10時10分を過ぎたところです。
昨日も今日も午後から出勤で製造のトラブルに対処した。
インドネシアでプラスチックの押出成形に関して私が今やっていることは、何度も、触れていますが、外国から輸入して使っている企業の現地調達のお手伝いとその製品を作ることによってインドネシア人に技術を伝達することです。これが十数年前から一貫した考えである。私がいる会社自体に損をさせたことはありません。その会社の技術水準が上がるし、若干の利益をもたらしています。
 当然営業的なこともしますが、それは、私の技術を求めている客先に安心をしていただくためです。求める価格で使える製品を安定供給するという基本的なことを淡々とやってゆけるということを納得してもらうためです。
 今、この世にない、誰もやったことがない製品をつくる技術を開発するということはやっていません。これからもやるつもりはありません。若いころは、日本でまだない製品、誰もが作れない製品を数多く作ってきましたが、今では、そういう仕事を引き受ける自信がない。特に開発仕事は頭も使いますがどちらかというと体力を使います。若いころの体力は無いので、試作など持続することが出来ない。連続で色々な条件を変えてテストを続けなければならない、原料、金型、製造条件それらの組合せは無限大にある。根気よく、最良の条件を作り出さなければならないし、探し出さなければならないのが開発です。私が作った日本で初めての製品は20代から30代前半に掛けてが、80%以上です。その後は、何年に一個という感じです。インドネシアへ来てからは、今まで手掛けたことが無かった仕事が80%以上ですが、日本でどこかの会社が作っているものを現地化ですから、新しくはない。人ができている物を私が出来ないわけがないと思って、すべての製品を現地化してきました。中には、日本のどこかの会社の技術者が何年も掛けて原料メーカーを巻き込んで原料から開発し、やっと作り上げただろうなと思われる、私にとって、やりがいがありそうな仕事を引き受けて、日本のその会社の人には申し訳ないと思いながら、作ってしまう。日本の仕事を奪ってしまう。

 数年前に有った話だが、私が製造を頼まれて割合簡単にやってサンプルを出してしまった製品が有った。それも、日本製は硬質塩ビだったものを私はPS(GPPSとHIPSの混合)とABSの二種類で作って、形状的にはOKになったが、色が微妙に塩ビ製品と違うと言われ、その後、何度か色を変えて出したが、結局、色でOKにならず、その話は消えてしまった。当時は、その製品の立ち上げのときに散々苦労を掛けた会社からの購入を止めて、現地調達に切り替えてしまうという決断が、人情的に出来なくて、結局、そのまま、日本の会社から購入を続けてきたが、この円高状態の中、今となっては人情などといっていられない状態になって、その難しい仕事を私にと改めて頼んできている会社がある。それも一社だけでなく、何社かあり、製品の種類は20以上ある。しかし、もう、私がやるわけにはいかない。

と、いことで、押出成形の技術はまだまだ求められている。製品を作る技術があるなら、沢山の仕事がある。

 昨日とはうって変わって快晴、ボゴール方面の山が見える
ドリアンのパック入り、実が開いてしまって腐りかけた実の一部、まだ、腐ってはいない実をパックで売っている。それでも売れないものは50%値引きで売っている。拡大してみれば幾らになっているか分かると思いますが、ニパックを約600円位で買いました。腐りかけているドリアンが一番おいしい。ちなみにこの状態にして幾重にもプラスチックの袋に入れてトランクへ入れて飛行機に乗せて日本へ持って行くことが出来ました。
三分の一ほど食べると顔がほてってきてちょっと酔ったような気分になるのは私だけでしょうか。
    
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