(^_-)-☆雲泥の差の続  [体験]

 IMG_7071.JPGIMG_7060.JPG そこで、新しい製品の話が舞い込んでくるたびに既成の装置では出来ないことが分かるようになってきたことをきっかっけに、それぞれの樹脂、製品の形状に毎の成形方法を編み出さなければならないことに着目した。押出成形をはじめてから、一年以内には、新しい仕事の開発に取り組んだ、というより、新しい仕事が次々と舞い込んできていたので、それぞれの製品の製造方法を開発しなければならないようになった。私の仕事は自身、やりがいを感じるようになっていた。それはサラリーマン時代のことだったが、新しい製品を作って客先のOKを貰い、量産に差し掛かった頃、私は、その製品について関心が無くなった。というより、また、新しい製品に取り組まなければならないので、以後のことは、上司やQCや検査の専門家に頼み、作業標準書以降の手順書、標準書についてはお任せをした。そういうところまで、私は口をはさむことは無かった。それらのことについても、私がやればもっと早く確実にできると思うが、それは、他の人の立場を尊重した。私にとっては、どちらかというと、どうでもいいことでもあった。
 書いたように、私が作った装置や製品についての改善、改良についても、とやかく言わずに、お任せをして、それらの人なりに満足感を味わってもらうようにした。また、そういう余地を残してあげたと言ってもいい。そうとは知らずに私が作って製品にした装置にいろいろ欠点を指摘し、改善をして、提案などを出して、検証されたりした人も多かった。
 
技術を伝える相手の内インドネシア人は選べるし、だめだと思えば選び直すことが出来るが、日本人については選ぶことはできず、派遣された人を対象にするしかないが、これが、どうにもならない人ばかり、私に選ばせてほしいと頼んでも受け入れられない。結局、日本人に技術を伝えることはできない。そして、その人たちは、私が空虚だと思う、手直し形の仕事しかできないし、効率も悪い、場合によっては、仕事が出来るインドネシア人の足を引っ張ることになる。自らは出来ないことをインドネシア人にやるように命令する。そして、それに、気がつかない状態を引きずり、出来ない人間がインドネシア人の評価をすることになる。滑稽な状態になってしまう。

そういう人たちの新規の製品の引受ける勇気も自信もないので、その職場では現状維持である。部下に任せる容量もない、部下に任せて出来なかったとき、尻拭いをする自信が無ければ、部下が出来ると言っても、断ることになる。

 ソロの東方向の山の中のヒンドゥー遺跡チャンディスクーの像、その時の人が、真面目に何かの目的で作ったのでしょうが、目的は何だったのでしょうか。    
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