(^_-)-☆是唯足知 [習慣]

    と書いたが、今回のタシクマラヤのキリスト教会襲撃の後始末に数人のイスラム教徒の若者が来ていた、というのがニュースで写されていた。その画面の真ん中の後ろの方で、何十人もの警察官が、長椅子にのけぞる様にして、掃除を眺めていた。警備をしている風に見えないし、掃除や片づけをしようとしない、彼らは、イスラム教徒です。

RumbarPutri.jpgRafresia0.jpgこれ唯足るを知る。色々な考えがあっていいと思うから書くが、人間の延命措置と同じで、もう、明らかに意識がなく、駄目なものを、機械を使って心臓を動かし、酸素を送り込んで延命させ、奇跡を期待することが是か非か、医者が呼吸器をはずせば、殺人になりかねない、身内がOKすれば、医者は殺人に問われることは無い。
 循環するもの、別の命が、新たに出てくるものについては、新たにでてくる者に対して智恵を使えばいいのです。
 日本の農産物に関して、後継者はいない、規模が小さくなるのは当り前で、金をつぎ込んで機械を導入してもその金は回収できない。一度、天災の被害を受ければ,それで、一ころ。例外はあるが、今の畑や田んぼの状態では未来は無い。例外はあくまで例外で、全部を例外と同じにしてしまうとするのは、逆に共倒れを促進する。新しい例外を大規模に作りだせば、別の農業、漁業、林業が生まれる。一次産業から二次産業にしなければ、今のように、輸入規制と税金の配分をもっともっとと言っている、大の大人が悲しい存在に見える。農協などは、農業者を自分の飯の種にしているにすぎない。一緒の権力者、公務員のようなものに過ぎない。これも、例外はある。
 革命が必要です。強力な刺激が必要です。その点、自由貿易交渉はドンドン進めるべきである。とっくに農産物の輸入自由化をしていれば、今のように問題をずるずる引きずる必要は無かった。やらなければならなくなるものは早ければ早いほどいい。国鉄の民有化、郵便局の民有化、何十年も、しつこい反対をした後、反対した人々は今の民営化を見てどう思っているのでしょうか、国民の多くは間違った選択とは思っていない。一部の元職員や公務員が辛い目に会っているのかもしれないが、大を生かすためには、犠牲になる必要がある。100%の人が、満足というものはこの世の中に無い。痛みが無い改革、手術は無い。

 インドネシアの山岳地帯の伝統的な部落の生活ぶりを見るにつけて、足る、ということは何かを考えさせられる。
 私が子供のころ、大二次大戦後、物資が不足していたころ、何も不足していると思っていなかった。子供ながら、おやつに、ジャガイモを自分でゆでたり、田んぼで捕まえたドジョウの泥をはかせておいて、串に刺して焼いて醤油を付けて食べたり、充実していた。勿論、テレビは無いし、おもちゃも無い、おもちゃは自分で作った。私が子供の頃の方が今の日本の子供達より恵まれていたと思うし、勉強やスポーツなどにやりがいがあったと思う。子供も大勢いて、活気が在ったし、今のインドネシアに似ていた。
 もっと書けば、江戸時代の日本人の方がもっと恵まれていたと思う。日本人は江戸時代をもっと知ったら、新しい投資の方向が見えてくるのではないでしょか。このままでは、中国に尻尾を振り、いつかインドネシアにも尻尾を振る時代が来るのではないでしょうか。
そのころ、私は、この世にはいない。
  
Mencari pacar mu(恋人探し)で恋人に今回も会えた。数か所ポイントが在って、どこかで会うことが出来るようになっている。
私のウェブサイト
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/ の表紙の場所です。少し、下から撮っています。
  
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