(^_-)-☆同級生の思い出 [人生]

 1761 今から65年ほど前の事だ。すごいやつがいた。中学三年の同級生、背は低かったが体はがっちりして筋肉質、静岡の浅間さん近くのペンキ屋の息子、野球部、ショートで四番、県大会で三位、本人は首位打者だった。クラスでは勉強をしないで勉強しようとしているいやつの邪魔ばかり、学級委員長が私、副が彼、クラスの人気投票で決まっていたようなもの、私も、クラスのことがしないし、勉強もしなかった。大体、私を含めて、男女とも運動部員が多いクラスで、各学科の先生が私たちのクラスで教えるのを厭がっていた。隣のクラスの国語の先生などは、本当に厭がっていて、太田、何とかしろよ、といつも言われていた。その、すごいやつは、私といつも休み時間にふざけていて、従業が始まるベルが鳴っても廊下にいて、教科の先生が階段を上ってくると、ドドドっと、クラスの中に駆け込んでいた。先生もその様子は分かっていて、あきれるばかりで、なのもいわなかった。担任の先生は、相当、ほかの先生から、色々言われていたらしかった。只一人、野球部の顧問で、体育を担当していて先生だけは、私のクラスびいきで、ああいう子供たちの方が将来、有望だと、偶には言っていてくれたらしい。
昨日の坂東、村椿の話はその中学三年の時だった。
 
ところで、なななんと、その二年後に、静岡高校が甲子園夏の大会で、準決勝で坂東の出身校の徳島商業を破り、決勝まで行ってしまった。柴田の法政二高に負けたが、その中学の時の同級生、二年生だったが、二番、セカンドで出ていた。それも、決勝戦で柴田から二本の安打を打っている。

中学の同じクラスから、私とその野球野郎ともう一人、真面目で大人しく、絵を描くのが得意な子が静岡高校に進学した。そして、一年の時、また、そいつと同じクラスにされた。というより、運動部に属していた子供のほとんどが、一つのクラスにまとめられたのでした。県下トップの進学校だが、このクラスだけは、勉強はしなくていいらか、運動で活躍してくれよという気持ちでしょう。野球部員6人、硬式テニス2人、バスケット3人、重量上げとか柔道(有名な山葵屋の息子、書道ではライバルだった)をやるやつ、全部、インターハイクラスのやつらばかり、何故か、せいぜい県大会クラスの卓球の私もこの中に入れられてしまった。私の取っては、全く不本意のことだった。勉強の実力テストが前期後期とあった。成績結果は、350人くらい全員が職員室の前の掲示板に張り出された。私たちのクラスは、ほとんど300番以下だった。

それはさておいて、二年の夏、私は卓球の大会や勉強?で時間を過ごしていて、野球の事は、興味が無かった。応援など、誘われたが、暇もないし行く気もなった。静岡の大会は、静岡きっての伝統校、ほとんど一年おきくらいの確率で甲子園へ行っていたので、今年も、優勝するだろうと思っていた。そして、優勝した。静高は出る負けの確率が高かった。今年も、前評判はパッとしないし、直ぐ帰ってくるだろうと思っていたら、一点差がほとんどで、決勝まで行ってしまった。やはり同級のピッチャーがすごかった。まさか、決勝で勝つわけがないと思っていたら、やっぱり、あっさり負けてしまった。私は甲子園にも応援に行っていない。行ったって、負け試合を見るだけだからと思っていた。

 余談だが、ある雨の日、卓球の練習をしていた体育館に、二人で、ここでピッチングの練習をさせてくれと、そのピッチャー(今でも高校野球の解説をしていると思う)と、キャッチャー(トンカツ屋の息子)がやってきた。同級で、名前も同じだった。そして、投げ始めた。何球か投げてから、私に、バッターボックスの位置に立ってほしいという。気軽のいいよ、と言いながら立った。なんと、その迫力に恐れをなして、一球だけで逃げた。速球は真ん中のストライク、それでも、自分にブっつかってくるような印象だった。コチコチの硬球、かすっただけでも痛そう。流石、甲子園、準優勝投手。

 そして、その同級生は、早稲田に行ったようだが、学生時代に彼のニュースに触れることは無かった。それから、10年後くらいだったと思う、中学の同級会をした。車の営業マンをやっていて、中学、高校の時のような、やんちゃは無くなって、地道にサラリーマンをしているようだった。彼の活躍は、同級生の誇りだった。中学の時には同級の女の子から嫌われていたが、それから、20年後くらいの同級会では、大変持てていた。

もう一人、私にとって重要な人が同じ中学三年の時の同級生にいた。私がクラスの委員長、野球野郎ともう二人の女性と三人が副委員長だった場合が多かった。それらの人たちは、その後の私の仕事や息抜きや行動に大きな影響を与えてくれたし、いろいろな機会に接触もあった。同級会や同窓会の幹事役もこれらの人たちに手伝ってもらった。
さあ、次は何時になるだろうか、インドネシアでの仕事が一段落する予定の二年後くらいか。それまで、生きているかな。
青春の貴重な思い出の一つでした。
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それから55年後、インドネシアで一人作って食べた、料理です。
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アルミのパイプに取り付けたPCカバーです。片側のアルミとのすり合わせの部分に隙間がちょっとある。これはNGです。
 

タグ:野球 青春 記憶
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