(^_-)-☆我思う [思うこと]

 1787 北川弘二社長(私にとっての)葬儀が行われたはずです。私は多分、その頃、ここ、パンガンダランのヘアーサロンで、自分で思うのは変化も知れないが見事な白髪を真っ黒に染めていた。そのちょっと前に、もう一方、私の事を常に気にしていただいている方から、「いずれ誰しもその時が来るので
残りの人生を楽しく過ごしたいと思います」。と、メールが入っていた。その通りだと思う。その方とは、そう年齢も離れていないので、お互いに、亡くなった時には、弔辞を読んでやるよと、言いあっている。
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その染めている時に約30分じっと待つ、目を閉じて、いつもなら眠ってしなうのだが、今日は眠れなかった。普段、考えることがないことを考えていた。今頃葬儀が行われている、私は、インドネシアでもパンガンダランにいる、つい二日三日目前には、その方の為に涙を流していたのにこの変わり身は何だ。

目を閉じていると、色々な音や声が気おけてくる。ここは、パサールパンガンダランの一角、他のお客さんと店員の会話、子供たちの、親にねだる声、子供が髪を切ってもらって、その、結果に文句を言っている母親の声、向かい側に屯して、客待ちをしているトカンベチャがトランプの賭け事をしている声、アポガド、マンガなどのジュースを作っているミキサーの音と一寸綺麗(待っている時に一言会話済)な店お人と客との話声、そんな中で、私だって、そう、何十年も、これらに声が聞こえることを確認できるわけではない。今、眠ってしまえば、この声は永遠に聞こえなくなってしまうのではないか、と、思うと眠れない、もっとも、聞こえなくなったのかどうかを、眠ってしまえば確認できない。永眠とは言いえて妙だ。夢を見ることもない。全く、無の世界だ。それも確認できない。

色々考えても仕方がないことも分かっている。とにかく、私がこの世にいなかった時、生まれる前の時と同じになるのです。そのとき、どうだったか、何もなかったし、無だった。そして、永遠に存在しなくなる。

そして、私が、ここに、なんとなくここに来ることができて、ラフレシアに会うことができ、環境を満喫できる状態に出来るようになったきっかけを与えてくれたのが、北川社長でした。そう考えると、与えられたきっかけは、有効に使い、より発展させることが、きっかけを与えてくれた方への感謝の気持ちを表す最良の方法ではないかと思う。

“我思う故に我あり“人に迷惑を掛けないで、なんとなく、やりたいことをやっていれば、そのうち、”我、思わなくなる、故に、我なし”になる。ここまで、思っていた時に、「髪を洗いますよ」といわれた。
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東海岸で一番チャガールアラム場所、私の立ち位置の後ろがチャガールアラム東海岸入口である。この写真の右端にあった、otak-otak(私のメールアドレスの一つに使っている)Kakilima。
  

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