(^_-)-☆貴重な一日 2 [人生]

 1801 二日連続で、お寺の坊さんと話をすることになった。また、親戚の人たちと久しぶりに会う機会があった。その雰囲気は、全く異なった。昨日は和尚さんが87歳、親戚の私の義理の兄弟の平均年齢が亡くなった長男84歳を除いても、77歳、男では私が一番下。控室では、完全に聞き役、それに話が繰り返し、次に、皆さんが集まる時には、残念ながら、私以外のこの中のどなたかが亡くなった時だと思いながら聞いていた。そういうものだから、いちいち、悲しんだり、嘆いたりしても仕方がない、とにかく、再会する時まで元気でいて欲しいと言うしかなかった。雰囲気に明るさを持ち込もことは出来なかった。

本日は太田家の方、母親の三回忌、富士川町の菩提寺へ10時集合、本当に身内だけ、和気あいあい、普段は、何かないと集まらないので、母親が集まる機会を作ってくれたと思っている。昨日と違って、快晴に恵まれ、父親が無くなった時に私が作ったお墓の前で、7回忌には、また。この全員が揃ってこれるといいね、などと、話をしたが、確立として、一番早く欠けるのは、私だと思う。そんな、一族というか、私との血縁者の集まりだった。今のところ、一番下は、0歳、アメリカ在住、今日は来ることができなかった。現在、日本にいる中で一番下は、4歳の男の子、そんな具合に、平均年齢は、35歳くらいだと思う。その皆といると、気を使わないし、おじさん。おじさんと言ってくれるし、身内だなと思う。楽しい。
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太田家のお墓の前から富士山、菩提寺の駐車場から富士山、愛鷹(あしたか)山、眼下に富士川と一号線の橋、ずっと、右は、河口側と駿河湾、この直ぐ下に私が小学生の頃、毎夏休み、泊りに来たおじさんの家(端のたもとの太田石材店)が有り、そこを拠点に、従兄連中と川で泳いだり、山に入って昆虫採集をしたり、夏ミカンを収穫したり、思う存分、遊びまわった場所だった。そして、この地に父母を送り返し、そう遠くない時期に私もこの地に帰る。皆とワイワイ話をしながら、こんなことを考えていた。家族や身内を考える一日だった。

昨日は、こんなことは全く考えなかった。それに、インドネシアで一人暮らしをしている時も、全く、考えない。だから、日常は全く考えないことを、この二日間、考えさせられた。また、考えない世界に戻る。
  

タグ:次は 家族 身内
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