(^_-)-☆貴重な一日 [人生]

 1800 葬式に参加した。山梨の甲府、妻の一番上の兄さんが亡くなった。84歳だそうだ。大腸癌が全身に転移していて、分かってから2カ月足らずで亡くなったそうだ。何時に何処出を確かめず、妻が4時に出発と言うので、そうした。妻と娘と孫二人一緒で5人の旅、7:15に到着してから、妻は08;45から告別式が始まるという。それが分かっていれば05:30ころ出発していればよかった、と、文句を言ったが仕方がない。この余った時間が幸いをした。先ず、武田神社へ、ここ、何年振りだろうか、色々な建物が増えていた。トイレも綺麗になっていた。何十回とここへは来ていたし、その向かって左となりの相川小学校、小学校の6年の時に、海の子山の子交流で、夏に、この小学校の当時、教頭の子供が私の家に泊まり、海へ一緒にいった、秋には、私がこの学校の裏手にある塚原部落というところの、その子の家に泊めてもらって、昇仙峡などに行ったりした。懐かしの場所だ、大学を選んだのは、その縁も無関係では無かった。それから6年後、山梨大学に入って、すぐに、その家を訪ね、大歓迎された。
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♪うすむらさあきの ふじだなの しいたでうたあった アベマリア♪武田神社から山梨大学に寄った。車を止める所が無かったので、藤棚直ぐ下の大学のコンビニの駐車場に止めた。多分、もう、冬休みだろうし、朝早いので、客はほとんどなく、6~7台しか止められないが一台も駐車していなかった。直ぐ上の藤棚には、その駐車場からコンビニの上の入り口の前を通ってゆくことができた。私が居たころは、その今の階段の丁度下に石の階段があって、その階段で、クラス全員の写真を撮ったし、校内を移動する時にはその階段を上り下りした。そして、その藤棚は今も、全く、様子が変わらず残っていた。孫に「おばあちゃんとここで、友達も一緒に、話をしたよ」と言ったら、「ここで好きになったの?」という、「そうだよ、もし、おばあちゃんとここで会っていなければ、あなた達のお母さんも、この世にいなかったし、あなた達も勿論、影も形もなかったよ」といってやった。「良かったね、ここで会って、だから、私たちが居るんだね、ここへもこれたんだね」と、上の子が言ってくれた。彼女たちが今日の事を覚えていてくれるとは思わないが、それでも、甲府へ早く着いてしまって、こういう会話ができたとこと良かったと思う。
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工学部の正門、工学部と書いてある右側の門柱のすぐ裏に藤棚がある。

時刻通りに会場に入って、後は普通の流れ、斎場へ9時ごろ向かい、斎場から11時過ぎに戻って、食事後、13;00から、葬儀、告別式、14;30頃から初七日、そこで、義理の兄弟ら甥姪と話ができた。ま、皆さん、相当な歳の人ばかり、中には、具合が悪くて来られない方もいた。誰も、言わないが、次、一人を除いて、また、会う機会が直ぐ来るのじゃないかと思う。その一人は、誰かということはないが。インドネシアに多くの時間いる私にとっては、この中に、会うのは、今日が最後になる人もいるのではないかと思う。出来るだけ全員と握手を交わしながら、手を握りながら、帰る時の挨拶をさせてもらった。
19:00過ぎに家に戻った。


タグ:葬儀 再会 記憶
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