社長交代 [日常]

 IMG_4236.JPGIMG_4226.JPG日本からVIP来社。日本に帰った時には、ゴルフを一緒に誘われる仲なのだが、PT,NANBUとしては、あくまでも、私の重大上司であり、尊敬する方の一人なので、緊張をする。真剣な会話をするしかなく、冗談交じりに話などできない。早く、軌道に乗せて、安心させてあげたい。
予告はあったが、4月1日K社の社長が交代し、若社長になった。おめでとうございます。会長とは40年以上のお付き合いで、若社長とは20年くらいのお付き合いになるでしょうか。両方の方から、親しくしていただき、それぞれに、違った意味で、大変、お世話になっていました。今も、太田化工がお世話になっています。これからも、日本へ帰った時、機会があれば、訪問して、世間話でもしたいと思っています。
押出エッジング、グロメットでは40年前からのお手伝いで、超ロングヒット商品です。大当たりの商品です。もっとも、若いころ、私も、大いにこの製品で利益を上げさせていただきます。私が、こうして今インドネシアで生活しているのも、インドネシアの若者に、技術指導をしているのも、このおかげだと思っています。
K社もこの商品を持って、大手家電メーカー、IT産業に入り込む手段、武器にしたのでした。K社の基礎を築いたのです。お互い様です。
若社長には、副社長として、インドネシアへ見えられた時には、BLOKMのカラオケに招待してもらいました。今後は、そんな感じではいられないでしょうし、これからの時代を引っ張って行かなければなりません。困難な仕事でしょうが、人に安心を与える接し方を生来持っていると思っています。多くの知識を生かせて、K社の先頭で、走っていただきたいと思います。ひそかに応援をします。
フレーフレー三三七拍子!!!!

K社のインドネシア工場は解散になりましたが、若社長が一番、応援をしていたし、私はそれに従っていた、私の部門は、インドネシア国内売りで、十分利益を上げていたが、射出の方が、親におんぶにだっこされていて、社内で権力をもった、ある人物(現在はいない)が、強烈にそれを支持し、インドネシア国内売りはまかりならぬと、足を引っ張り続けていたのが、致命傷でした。もし、当時副社長がインドネシア工場全体をまかせられていれば、解散する状態にならなかったでしょう。
   

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0