(^_-)-☆しがらみは厄介 [矛盾]

自由を求めて、自分の生き方を実行しようと、50才で会社を他人に譲って、海外へ出ると決めたのが、40の頃でした。理由は静岡の片隅をベースに一生過ごすことは相当、井の中の蛙の狭い人生になってしまうかもしれない、それは、自分向きではないと思っていた。もう一いつは、私が持っている技術はかなり特殊で、その技術と仕事への取り組み方を、父親や祖父の世代に迷惑を掛けた東南アジアの国々の若者に伝えて、少しでも、われらの生活水準が技術水準の向上に力を貸したいと思っていた。私が従業員に譲ったのは沼津と静岡の二か所です。それぞれ、客先もそのままくっつけて残し、無借金の上に相当な内部留保も残した。自社で約束手形を切ることは全くしなかった。裏版を押して、回し手形で済ました。
そんな、至れり尽くせりの状態で、株も半分以上は譲渡した、そんな状況でも、私個人の蓄えは十分であったはずである。
そして、縁あって、インドネシアへ来ることになった。そして、それから15年過ぎる。多くのインドネシア人に技術を伝授した。一社だけでは無く、三社に及んだ。風テンになれないのは技術を教えるために、日系の会社の中に入って、インドネシア従業員に教えるという方法を取った。それが、また、その会社での日本人との目的や損得や知識や能力の違いで多くの反発を買う世界に飛び込んでしまったことにもなった。
風テンやヒッピーなら、そういうしがらみや軋轢、損得から避けながら渡り歩くことが出来るし、そういうことに係わりたくないから風テンだと思う。目的の為に、目的を果たしにくい立場に身を置きつづけなければならなかった。他に方法はあったと思うが、それぞれの会社の経営者とのしがらみも長期に渡るのでその縁も見放すことが出来なかった。今も、その状態は同じです。

面白いことに、そんな面倒なしがらみなら捨てて、さっさと、自分ひとりでやってしまえば良いのにと思うし、できるし、インドネシア人からもそういわれる。それが、そうもいかないのが、しがらみなのです。義理人情なのです、捨てきれない。ベースを日本に置くのもその世界から抜けられないからです。そして、インドネシアの仕事に関しては、間もなく日本へ行ってしまう私が今手掛けても中途半端になってしまうし、私が云ったからやったと言われ、うまくいかなかったと云われても、どうしようも無いので、そういう心配のあることも云わないようにする。私がこうすればできる、ということは、私の頭と腕で出来ると言っているので、他の人では、できないことがおおいので、なおさらである。
もう、実労日で15日程しか居ないインドネシアで、余計な手出しはしない。現在、私が、やってしまえと、引受けた仕事が五つある。その手始め(導入部)は私も係わったが、今は、全く知らん顔をしている。OKに殆ど近いが、今一歩で、まだ、OKでは無い。現在かかわっている人達は、それらの製品の係わりに反対した人達です。というより、客先に返事もせず無視した人達です。その仕事を私が引受けてきたしまった。そして、最初だけ私がやった。それ以後は、私は逃げてしまった。その後のお手並み拝見である。日本人は35年のベテラン一人、インドネシア人も15年の経験者3人、何とかしてOK品を作ってほしい。私の作った金型に文句があるなら、それでもいい。今出来ないのは私の所為だと言ってもいい。しかし、そういっているだけでは何も進まない。
自分なりに修正するなり、作りなおすなりして、自分がやったから出来た、と言えるようになってほしい。そのチャンスを与えているのです。私が引受けてこなければ、永久にそういうチャンスは生まれない。私が最初から最後までやってしまっては、私、本来の目的を果たせない。その人たちが今どう思うと、将来は自己満足になるように完成させてほしい。

今もその目的は持ち続けている。今度は、彼らがインドネシア人のように素直に私の技術ややり方を参考にするかどうかが問題で、インドネシアで係わった日本人のように、自分の立場を脅かされるという恐怖から複数人間からパワハラ受ける可能性がある、そういう場所に身を置くことになる。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
IMG_0366.JPGIMG_0299.JPG花は良い
 
タグ:義理 束縛 人情
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