(^_-)-☆小便の滴の行方 [勘違い]

1090 成人の日?今週、私が使いたい装置が塞がっているので、会社ですることは何もない。そして、私がその装置を使っているときには、その人は何もすることが無い。お互いに邪魔をしているのです。そんな状況で結果を早くだせというのは矛盾している。これは障害の一つに過ぎない。もっと高い障害がいくつもある。私ならこんな環境を与えることは全く無い。
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話しは日常的になります。二台並んでいる男性小便用便器の目の前の壁の目の高さに“一歩前へ“という紙が貼ってある。その一枚に何カ月か前から一の上に二本棒が引かれていて”三歩前へ“になっている。一歩前へと書いてあっても、便器の前の床に滴が相変らず落ちている。それを見かねて、誰かが、もっと前へという意味で書いたのでしょう。しかし、その便器の前にも滴の跡が必ずある。
 その行為は落書きととるか、一種のユーモアととるか、気を利かせたと取るか、見方や反応は様々だろうと思う。
 しかし、私はそれを書いた行為がどうこうではなく、もっと前に立って小便をしなさい、そうすれば、便器の外に滴は落ちない、という発想が間違っていると思う。十分前に立ってしているのです。ですから、小便中に便器の手前に滴が落ちることは無い。

 滴が落ちるのは小便をし終わった後だと思う。摘まんで振って最期の一滴まで落としてしまう時すでに後退しているのです。必ず、お尻を引いてチャックを閉めます。そこで、便器の外に滴を落としているのです。履物のも落としているのです。落としきれないで、なお、下がって、ズボンに仕舞う直前にも滴を落とすのです。その落ちた跡の状態を見れば、小便をしたというより、滴が落ちたということがはっきり分かります。だから、目の前に張り紙をするなら、“小便後、後退せずに仕舞いこみましょう”と書いた方が良い。小便をするときよりも終ってから便器の手前を汚しているのです。私の分析、間違っているでしょうか。小便をしているときは便器から外に飛び出さないように注意しているが、し終わった後の行為では注意をしていない。全く、頭に無いから、その時に外に滴を落としているかどうかなどとは思いもよらない。だから、小便をする前に、誰かが、滴を落した状態を確認しても、自分が落としたかどうかは確認しない。

 いくら便器に近づいて用をたすように書いてあっても、どんなに綺麗な清潔なトイレでも必ず滴の跡はある。なぜ、私のように思う人がいないのでしょうか。 不思議である。ぜひ、どうせ、張り紙をするなら、「小便の跡、便器からすぐ離れないでください」あるいは「腰を引かないで反ったまま仕舞い込んでください」にしてください。滴の跡は無くなるでしょう。
 取り上げにくい話題ですが、“ためしてガッテン”でガッテンさせていただいたいものです。

 
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