(^_-)-☆音楽の時間 [思い出]

 1496 ついでだから、日本人の熟年層に知られているであろう、インドネシアの歌について書く。
Nona若い女性 manis甘い siapa だれyang 接続詞で、~であるところのpunya 所有する
nona manis siapa yang punya
nona manis siapa yang punya
nona manis siapa yang punya
rasa sayang-sayangen
直訳すると、甘い女性を所有しているのは誰?です。だから、日本語の歌の“かわいいあの子は誰のもの?”というのは、見事に合っています。rasa味、感じ sayang愛しい sayange愛しい 直訳では、愛しく思う、です。日本語の歌詞は、“いえ、あの子はひとり者”か、“いえ、あの子は僕の物”でしたから、違いますね。インインドネシア語の歌には二番三番はありません。一番を繰り返すだけだと思う。間違っているかな?
 ブンガワンソロとこのノナマニシャパヤンプーニャは小学校の四年の頃に歌っていた。まったく、この通りに歌っていた。一番がインドネシア語、二番が日本語でした。インドネシアでインドネシア人スタッフが揃って、初日の朝礼で自己紹介の時に、歌って見せた。拍手喝さいだった。日本人の初仕事の人も如何ですか、ぐっと、皆さんと近づきますよ。
 日本語の歌詞ではなく、やはり、インドネシア語で、でした。
もうひとつ”Ayo Mama”という歌も知っていた。
Ayam hitam telurnya putih mencari makan di pinggir kali
Sinyo hitam giginya putih kalau ketawa manis sekali
Ayo mama jangan mama marah beta dia Cuma Cuma Cuma cium beta
Ayo mama jangan mama marah beta lah orang muda punya biasa

インドネシア語の歌では、何番目かまであるようですが、いちばんしか知りません。
この歌は、日本語では歌わなかった。意味を知らずにこのまま覚えて仕舞って歌っていた。インドネシアへ仕事で来て、何か月後の、ポンドックグデだと思うが、ユニフスタス ダルマ プルサダの日本語学科へ呼ばれて行ったときに、インドネシア人学生から、この歌を教えてやると、紹介された。知っているよと歌って見せたことがあった。
IMG_0524.JPG
 間もなく工事が始まる、リッポチカランのゴルフドライビングレンジの傍のアパートメント。壁の絵を見るとかなりの部屋数のようだ。
IMG_0530.JPG
 と、その看板のすぐ前の三叉路、デルタマスへ向かっていり道のスタート地点、深い穴に後輪を落とし、タイヤが外れてしまったトレーラー。こういう光景は珍しくない。
   

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