(^_-)-☆生き方の源流 [人生]

 1546 小学生の時に植物図鑑でラフレシアを知り、音楽の時間に“ブンガワンソロ”を歌い、キャンプファイアーで“可愛いあの子は誰のもの”を教えられて、インドネシアへの憧れというか、大人になったら行くぞと決めた。

それと同じころ、音楽の時間ではないが、四年の国語の時間で“寝ていて人を起こすな”という題名の章に深い影響を受けた。何日間、予習復習で家でもその章を朗読した。どういう話かと言うと、毎年氾濫する天竜川の堤防を、私財をなげうって、率先して作った人、その地方の庄屋さん金原明善さんの話です。知りたい人は検索してください。モッコに石を載せて運ぶ姿が挿絵になっていた。何度も何度も、寝ていて人を起こすなと大きな声で読んでいたので、母親も覚えていて、同じ部屋に家族が寝ていたが、電気がまだついていて、私が最後に床に就いた。全員が寝て仕舞った状態になった。私が、誰か電気を消して、と、言った時、母親が“寝ていて人を起こすな”と言った。私はギャフンだった。起きて電気を消して床に入りなおした。ということで、人がまだ寝ている時間に早く起きて率先して堤防を築こうとした金原翁の影響を受け、村人全員が協力して堤防を完成させたという話でした。後の植林も行った。治山治水の典型的な人でした。
前後して、自動織機の豊田佐吉さんのことも勉強した。
 私の生き方はその影響を強く受けている。率先して課題に仕事に飛び込む、他人が付いて来るか来ないかは問題ではない、だから、色々な役目も率先して引き受けた。小学校の低学年のころからクラスの委員長をやっていたし、当時は青少年赤十字という組織の名前になっていたので、分団長と言っていた。高校大学ではクラブのマネージャーやキャプテン、会社では労働組合長など、本分と違う方面の役目もやってきた。寝ていて人を置くす人が多かったサラリーマンを止めて、そして、社長もした。社長をしていた20年、一度も怒鳴ったことはない、頭に血が登った事もない。うまくいかないときには、私の指導の仕方が間違えていたと思うし、その方法自体が、私にはできるが、他の人では扱いが難しくて、できないから、できる様に改善しなければならないと思った。
 その間、仕事は順調だったし、非常に心地よい二十年以上でした。寝ていて人を起こすことはしなかったし、寝ていて人を起こす人も私の周囲にはいなかったからです。私が寝ていて私に起こされた人は一人もいないはずです。

 ところが、インドネシアへ来てから、立場上私の上司に当たる人達の多くは“寝ていて人を起こす人”がほとんどでした。1996年に赴任してきて、いきなり、度肝を抜かされた。とんでもない環境に飛び込んでしまったと思った。
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イジップとヒュンダイを隔てている道を南へ行くと直ぐに、大きなショッピンモールとホテル、アパートのビルディングを建設中だった、そのちょっと南には高級分譲住宅地がある。ここの一戸建ての値段は付き千ドル以上だという、もっとも、リッポチカランの奥の方は千五百ドル以上だというから、普通か。日本人がどんどん入るという、立てる前から予約でいっぱいになるという状態らしい。
  

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