(^_-)-☆あれから15年 [情報]

 1579 私のブログ、昨年の5月14~17日まで(1216~1219)、“あれから14年”として、インドネシアの大暴動について書いてある。今となっては、その時、インドネシアにいて、目の当たりにその状況を見た日本人は、インドネシアにほとんど残っていないと思う。インドネシア人でも知らない人の方が多くなっている。
その日、ジャカルタで大暴動が起きていると、会社の誰かが言いだした。テレビでは、その時、多くの場所からライブで報道し始めていた。ブカシバラットから、次第にブカシティムール、タンブン、チビトゥン(MM2100の高速道路を挟んで反対側)を通過し、チカラン(リッポチカランではなく、コタ チカラン)そして、私が当時住んでいた、ルマーアバンを過ぎてカラワンに達した。工業団地が対象になってはいなかった。一般国道沿いの町が対象だった。それぞれの町で独立単独で始まったのではなく、あたかも、誰かが先頭に立って、扇動して、次の町、次の町と移動し、打ち壊していったように感じた。

ガソリンの補助費の削減をできないのは、未だに、その時の記憶が残っているからだと断言できる。SBYがガソリンの値上げをしようとすると、反対派は、必ず、暴動が起きれば、大統領の責任だといって脅かす、その繰り返しを数年以上やっている。

あれから1年は、スホイがサラックに激突してからです。
IMG_0711.JPG
 平和な話、タンゲランの会社で作っている、酒、飲み方として、一日三回、食後、20~40mlと、勧めている。薬ですね。
IMG_0714.JPG
 五階建てのホテルを建設中、レンガを手渡しで上の階に上げている。チャップリンの喜劇映画を見ているようです。
IMG_0715.JPG
 これが、パンガンダランからグリーン キャニオンへ通じる、ジャラン ティクス(ネズミの道、抜け道)です。メイン道路より遥かに凸凹が少ないが、狭い。
  


タグ:安全 暴動 記憶
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0