(^_-)-☆惑いっぱなし [人生]

 1729 今になって、大いに迷っている、学問の志で迷っているのではない、どうしたら、インドネシア製の製品が売れるようになるかということです。せっかくのチャンスなので、できるだけ多くのインドネシア人の若者に、インドネシアに無い技術を伝えて、有るようにしたい、それには、その製品の生産依頼を多く受けなければならない、平たく言うと、生産量が多くなれば多くの人に技術を教えられるということです。
10何年間、インドネシアで、そうしてきた。新しい仕事を取っては、それを、インドネシ人ができるようにしてきた。気持ちは迷っていないが、売り方をどうするか迷っている。70にしてまだ迷っているのです。思うようにするのですが、その、思いように迷いがあるのです。

昔々、大っきらいな漢文で、孔子の論語を覚えたことがある。40にして惑わず、15,6歳の時には、そんなものかと思ったが、40になっても50になっても、70のなっても、惑いは消えない。70を目前にして、大いに惑っている。孔子のたまわく、自分の思うようにやっても人の道を外すことは無くなったそうだ。それじゃ、70になる前は、途中、惑わなかったり、天命を知ったり、色々あったようだが、思ったようにやって、ずっと、人の道を大いに外していたんだ。と、15.6歳の頃、それを呼んで、思ったことがある。大した人では無いなと。

私はどうか、70目前だが、思い返せば、ずっと以前から、自分が思うようにやってきた。自分の生き方設計通りにやってきた。そして、人の道を外したことは無いと思っている。

30で立つ、その時に、自分の会社を作った。40の不惑で、10年後に社長を止めて、海外へ行くと決めて、部下や関係先にそのことを宣言した。50で、予定通り、社長を止めて部下に会社を譲った。60で、インドネシアで、一社目の会社から飛び出した。そして、一か月足らずで70歳、さて、どうなっているのでしょうか。迷うは取れるのでしょうか。もし、惑いが無くなれば、70にして不惑になるかもしれない。70を過ぎたら、孔子の逆を行って、人の道を外すようなことをしてみたいなと思ったりする、どんなことをすれば、人の道を外せるのか、悩むかもしれない、惑うかもしれない。出来そうもないが。
Bagemanaya dengan bahasanya, Okkerah kalo begitunya!
Kata Confucius,
"bercita-saya cita setelah studi ketika saya berumur 15.
Aku menjadi mandiri di 30.
Aku membuang saya ragu-ragu pada 40.
Saya memahami tugas saya hidup di 50.
Saya menjadi mampu mendengarkan kata-kata orang lain tanpa prasangka 60.
Saya menjadi tidak mampu menjadi bertentangan dengan moral meskipun saya mengikuti keinginan saya, pada 70."
IMG_3239.JPGIMG_3239-.JPG
何でしょうか、LED Tube Lampのアルミパイプに中に入る絶縁パイプFriction Pipeです。アルミパイプの内側の形状に合わせて色々な形が有ります。これも、PCです。金型です。

タグ:不惑 孔子 論語
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