(^_-)-☆もう一つ [行動]

 1978 よく降りますね、まだ、雨季のようですね。大統領候補者の討論会と共に、ジャカルタからはバンジールの映像が流されている。おかげで、辛抱強く、枯葉剤を撒いているが、一向にかれる気配がない。ただし、土に沁み込んでいっているのか、立っていた鋭いナイフのような長い葉が寝てきた。相変わらず地から強い緑色のままだが、倒れて雑草の見かけは少なくなったように見える。
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テレビ画面の右上にラマダーンまで何日、左上には投票日まで何日という表示が見える。テレビに画面と言えば、しばらく、見たくないが、ワールドカップの番組が目白押し、TVONEを主体にやっているが、その他すべてのテレビのスポーツニュースで長時間取り上げている。
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米麹が少なくなってきた。ちょっと、作る速度というか、間隔を広げて、セーブしなければ、次に帰国するまで持たない。この状態が絞りどきだと思っている。二つの容器に10Lくらい入っている。

工場を捜しあてた。家賃は1年で150ジュタ、デルタマスの工業団地に近い場所、敷地は700平方メートル、建屋は、20m×25m充分である。5ラインは余裕で入るし、事務所やトイレや休憩所(キャンティーン)のスペースもある、狭くなれば、中二階を作ればいい。私が30歳で社長になった時の工場は50坪(10間の5間 18m×9m)だった。37歳で静岡に移った時には80坪(10間の8間 18m×14.4m)でしたから、十分すぎるほど広い。
インドネシア人のインドネシア人によるインドネシア人のための会社の立ち上げに協力するという、最終目標に向けて動き始めた。
ここで会社を設立してもらう。インドネシア人が会社を興すのは簡単だ。申請をすればほとんど審査なしで認可というか、どうぞ、勝手にやってくださいという感じでOKになる。別に会社など設立しないで、個人で色々な仕事をしているのだから、少し、軌道に乗ってから届け出てもいいらしい。そんなもだということは、一度、マクタという会社を作らせた事があるので(その会社はPT,NAの押出し部門に入るための準備会社だった、進出の手伝いをしていて、進出してきたら、直ちに、PT.NAに事業譲渡をした)よく知っている。

昔、私が初めて自分で仕事を始めた時には、個人会社としてだったので、どこにも届けることなく税の申告と支払いをしただけだった。非常に簡単だった。
  
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