(^_-)-☆再度病院へ [思うこと]

 2113 インドネシアへ戻る日を決定したが、突然、また、目眩や呼吸困難の症状が出てしまった。このままでは、インドネシア行きが心配で、今朝、飛び込みで、県立病院に行ってきた。ところが、出発する時から症状が無いままで、病院に着いても、待っている時も症状が現れず、掛かり付けの袴田先生とインドネシアのデング フィーバー(dengue fever)や鳥インフルエンザ(Avian influenza, Avian flu, bird flu)やエボラ出血熱(Ebola hemorrhagic fever; EHF)、などの事情に付いて話をしただけだった。薬は、この前、30日分ということだったので、特に増やすこともしなかった。要するに、行っただけで、何もしないで、帰ってきた。そして、規定通りに薬を飲んで、今日のところは、症状が出ていない。
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人の世は、済むと濁るで、大違い“刷毛ハケに毛があり禿げハゲにけがなし““人は茶チャを飲み、蛇ジャは人を呑む”“福フクに徳トクあり、ふぐフグに毒ドクあり”などなど、子供の頃、雑学本で読んだことがあった。その頃は、こういうことを知っていれば、何かの時に、話のタネになるなとだけ思っていた。
人は、話だけでは、その受け取り方は、その人の深層心理に依って、大いに違う。自分にとって都合が良いように受け取る、都合が悪いように受け取った場合は、否定したり、改善を求めたりする。文章で残っていない場合は、どうにでも、後で、変えることができる。

そして、それは、人に依って、その度合いは異なる。感情的になりやすい人は特に、その時、自分が何を言っているのか、前後のことを考えずに発言してしまうことがある。その上に、そのことに付いて知識が無いと思われる人には、大いに、その後のことに関して用心しなければならないと思っている。だから、私は、書かれているものを重視し、私自身が書くときも、後に、その文章を元に、何らかのアクションすることを考えている。貴重な資料や根拠になるだろうことを考えて書いている。

例えば、自分の責任範囲や負担範囲に付いても、自分が社長をしている時には、そのすべてを自分に掛かっていることは、当たり前なので、考える必要はなかったが、インドネシアでどなたかの手伝いをする情況になった時から、このことに関しては、特に、慎重にしなければならないこと実感させられていた。特に、手伝いをするその場の日本人に対しては、注意が必要だと思った。言っただけや聞いただけでは、何も意味をなさないことを認識した。“非常に寂しい世界”だと思うが、それが、現実です。皆さん、必ず、文章で残しましょう。
 

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