斜めからインドネシアを眺めよう 451 [日常]

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ブンガカボチャと言って、インドネシア中どこである。お墓のはなという人が多い。
ブドウを黙って頂いたという学生時代の話は、現在につながっています。甲府盆地の北側、大学の東側に愛宕山という小高い山があった。山の南端近くに小さな掘っ立て小屋の展望台があって、そこまで、走って、良く登ったものでした。中学や高校の時、浅間さんの山に走って登ったのと同じ感じでした。
 甲府盆地が一望できた。今は、設備が整備され、車でそこまで行けるようになっているはずです。デートスポットというところです。その一帯は、葡萄農園が一面に広がっていて、南の斜面の葡萄の出来が良かったので、ランニングのついでに、其処の農園のブドウを黙って、いただいたものでした。
 3年になった時に、体育系のクラブを仕切る学友会という上部組織の幹事をさせられていた。その関係で、全学の体育大会の主催も自動的に引き受けた。各学部、学科対抗で駅伝、バスケットボール、バレーボール、タッキュウなど10種目くらいの大会を仕切るのです。事務的な仕事の手伝いとして、教育学部からも女性が何人か来てくれた。日曜日にも、ガリバン刷りなどの仕事があった。その中の一人が、家の農園のブドウを差し入れとして持ってきてくれていた。ブドウ園の娘さんだったのでした。そんなことから、体育大会が終わった翌日から、そのブドウ園の収穫のアルバイトをすることになって、出かけていったら、いつも、黙って、いただいていた農園だった。愛宕園という名前だった。

 その後、何回か、友人と一緒にそのブドウ園を訪ねたことがあった。


卒業して、二年後に、その女性の消息を聞いて、交際を申し込んだのが、妻です。
 
 インドネシアの山間部の畑や水田は急斜面の棚場が多い。すごいところまで耕していると感心してしまうが、生活でどうしても必要なのでしょう。日本ならとっくに荒れ地に戻っているはずです。そんな斜面にそのブドウ園はあった。兄弟姉妹が7人、今のインドネシアと同じ様な状況が多かったはずです。
結婚後何年かは、会社が休みの時、葡萄の消毒や収穫を手伝いに行っていたが、今は、ご両親も無くなっていて、既に、何年も行っていない。もし手伝いに行っても、今の私では、手伝いにならないでしょう。毎年秋には今でもブドウが送られてくる。

この孫たちも、昔の葡萄泥棒がなければこの世に出てこなかった。

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