(^_-)-☆あのアチェの今 [体験]

   IMG_7925.JPGIMG_7924.JPG  先ほど23:00頃、家に戻った。今朝、7:00にサバン郊外のコテージから車で送ってもらい港へ07:30に到着、08:00発でウエー島を離れる。09:00前にバンダアチェの港に到着、日曜日で、港や隣接する海岸には大勢の家族つれがあふれていた。その海岸は2004 12の大津波が到着した場所です。そんなことは全く想像が出来ない和やかな、平和な風景です。
 この近くに5階建ての大駐車場のような建物があって、2000人位と車が500台収容できる避難場所だという事でした。遠目からは壁が少なくて、上に上にと車が登れる坂道が取り巻いている。回りに何もなく、かなり遠くからでも見える。ところが、地元の人に依ると、2005年のニアス大地震、津波の時、かなりの揺れがあって、避難、命令が出た時に、周りの人はここに逃げてこないで、車で、海岸から離れようとして、山の方に避難してしまったとか、全く、人間の心理を研究していない無駄な建築物だという評判だった。かなり高額な援助資金を使ってしまったらしいので、なお無駄だったと言われていた。
 
 海岸付近からは流された家々の多くを買い取って、広い片道三車線、両方で、六車線の道路を作った。区画整理、この際ということで進んだ。そういうこともあって、車でさっさと奥地に逃げ込むことが可能になったということもこの施設に逃げ込まなかった理由だと思う。
こういうこともあるので、なにもかも完璧とはいかないが、総合的には、安全、安心が格段に増したと感じているでしょう。多くの悲しみ、犠牲を残したが、GAMの独立戦争は終わってしまったように感じるし、津波の後地が、観光地化していて観光客も増えているし、街の環境は綺麗になったし、残った人には住みやすい地域になったと感じていると思う。6年前に10万人以上の人が無くなった。大津波があった場所とは思えない。

 街の中心に、感謝の公園があって、援助をした国々の名前を書いた小舟が舳先を上にして半分地下に埋まった形で公園の周囲に並べられている。一周400m位のランニングコースを走る人はその国々へ有難うという文字を見ながら通り過ぎる事になる。日本への感謝は日本語で書かれていた。

 16:45アチェ、イスタナ イスカンダル ムダ空港を出発メダンへ40分ほど寄って、ジャカルタ着21:00過ぎでした。
 平和な公園風景。

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