(^_-)-☆パニック障害前兆 [災害]

1149 前兆はというか初期症状は、後で考えると1年以上前からあった。脈が飛んだとは思わなかったが、頭がくらっとして立っても坐ってもいられなくて床に寝転がるしかなかった事が在った。気を失うのではないかと思ったが、それはなかった。何十秒間に3回、へたりこんだ。只事ではないと思い、近くの医者へ行ったが、症状はその時の何秒間だけで、医者へ行く途中、行ってからも、その後、一年以上その症状は現れなかった。もう一つは、体のあちこちが攣ったことです。特に、ゴルフなどそんな過激とは思わないスポーツの後、必ず攣るようになった。そのころ、海水浴場で沖まで泳いでゆくことを止めた。パンガンダランなどインド洋に高波を潜り込んで通過して沖へ泳いで行って、大きなうねりの上でぷかぷか浮いているのが私の海の楽しみ方でした。インドネシア人は誰も出来ない。それを止めた。万が一でもライフガードに迷惑を掛けたくなかった。
IMG_0309.JPGIMG_0313.JPGもう一つそのころ気になりだしたのが目の渇きでした。チクチク痛むようになって目薬を欠かせなくなった。
それから約一年後、頻繁に心臓の脈が飛ぶようになって病院へ駆け込むしかなくなった。シロアム、心臓病ではインドネシア一番のハラパンキタ、スハルトが晩年通っていたプルタミナ、近所のアニッサ、日本人医師がいるタケノコ、それからSOSやビンタローのインターナショナル、もう一か所日本人医師がいるメディカロカ、次々と症状が出るたびに相談に行った。全てインドネシアでは超一流の病院です。全ての病院であなたは全く異常が在りません。全ての数値は正常です。と言われ、追い返された。自立神経失調症やうつ病と診断されたこともない。ただただ、あなたに悪いところは有りませんと言われてしまっていた。症状を云う度に神経質になり過ぎているのでしょう、とも言われた。それなのに、飛行機に乗ることは危険だ、とんでもないとも言われていた。何でも無いのに飛行機禁止とはつじつまが合わないことを日本人医師はいう。自分の責任問題になることを心配した、護身的な言い方をするしかなかったのでしょう。時のパワハラ日本人も同じで帰国はまかりならぬになってしまっていた。インドネシア人の医師も日本人医師も誰一人としてパニックのパの字も云わなかった。ただただあなたは神経質すぎるということと、飛行機に乗ってはならない、という事だけでした。
 それではどうすればいいの?インドネシアから脱出するしかなかった。そして、誰にも話さず、決行した。
 日本へ帰ってからも、一か月、何か所もの病院を回ったがパニック障害を疑った医師はいなかった。一ヶ月後にやっと、あなたは典型的なパニック障害ですよ、今は良い薬が在ります。直ぐに治ります。といってくれた医者に会うことが出来た。その次の日から、嘘のようにパニック障害の症状は消えてしまった。

 その医者がいう原因は、頑張りすぎだそうです。自分がそう思っていなくても回りの人から見れば頑張りすぎている人、多分私はその口でしょう。さぼり薬を処方してもらって治ったのです。
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0063.html
 
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